河合雅雄さん偲ぶ サル研究の世界的権威 逝去1年、晩年も興味失わず 「エヴァンゲリオンってなんや」

2022.06.04
地域

遺族を代表してあいさつする長男の透さん=2022年5月28日午後3時29分、兵庫県丹波篠山市北新町で

昨年5月14日に97歳で亡くなった京都大学名誉教授で世界的に知られる霊長類学者の河合雅雄さんを偲ぶ会(兵庫県丹波篠山市、愛知県犬山市主催)がこのほど、丹波篠山市の田園交響ホールで開かれた。両市内外から約250人が参列し、在りし日の河合さんの姿を思いながら花を手向けるなどして追悼した。河合さんをよく知る5人による対談もあり、それぞれが河合さんとの思い出や後世に伝えたいことなどを語り合った。

出席者全員で黙とうをささげた後、酒井隆明市長が河合さんの経歴や功績を紹介しつつ、「先生の考えが丹波の森構想となり、森や川づくり、『獣がい』対策、日本遺産のまちづくりに続いている。これからも先生の教えに沿って歩んでいけるよう、お導きいただきたい」と弔辞を述べた。

河合さんの愛唱歌だった「手のひらを太陽に」を歌う篠山少年少女合唱団

河合さんの功績や生前のインタビューなどをまとめた追悼映像「自然に遊ぶ」が流され、野外活動などで子どもたちに向けられた優しいまなざしが映し出されたほか、河合さんの愛唱歌だった「手のひらを太陽に」を篠山少年少女合唱団が壇上で歌い、爽やかなハーモニーを響かせた。

また、出席者全員が順に献花し、河合さんとのそれぞれの思い出を胸に静かに手を合わせていた。

それぞれが河合さんとの思い出を胸に献花をする出席者

遺族を代表し、長男の透さん(64)があいさつ。家族で過ごした晩年の様子を紹介し、「知らずに死ねるかとばかりに、気になることをいっぱい聞いてきた。アニメの『(新世紀)エヴァンゲリオンってなんや』と聞いてきたが、こちらもよく分からない。『世紀末の話やろ』と矛を収めた」というエピソードも。「最期は『もう少し寝る』といって息を引き取った。教訓めいたことを言う人ではなかったが、『与うる者は泉のごとくあれ』と話していた。与える者は見返りを求めてはいけないということ。人との距離感や、温かい人となりをつくった原点だろう。悲しみではなく、笑みや笑いで父を思い出してほしい。丹波篠山、犬山の2つのまちが自然豊かなふるさとであり続けることを願っている」と述べた。

式典終了後、遺族席にいた妻、良子さん(92)と言葉を交わそうと多くの人が列を作り、夫婦で慕われている一端が垣間見られた。良子さんは丹波新聞社の取材に「皆さんから信頼され、期待され、幸せな人生を生きた人だった。ありがたい、以外は何も言うことはない。皆さんに成仏させていただいた」と話していた。

河合雅雄さんとの思い出や後世に伝えたいことなどを語った対談

河合さんをよく知る5人による対談も行われた。兵庫県森林動物研究センター名誉所長の林良博さん、同県立人と自然の博物館長の中瀬勲さん、日本モンキーセンター所長の伊谷原一さん(オンラインで参加)、元犬山市長の石田芳弘さん、丹波篠山市の酒井隆明市長が登壇。神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授の清野未恵子さんが進行した。河合さんとの思い出や、後世につなげたいことなどを語り合った。

林さんは、兵庫県丹波市のJR柏原駅まで河合さんを迎えに行き、森林動物研究センターまでの道中にいろんな深い話が聞けたと言い、「人はなぜ戦争をするのか。その解決方法を先生は知っていたのではないか。それは小さいもの、弱いものを慈しむ心だとおっしゃりたかったのではないか」と述べた。

中瀬さんは、「丹波の森大学」に河合さんの人脈で、養老孟司さんをはじめ、そうそうたる講師陣を迎えたエピソードを紹介。「人脈づくりが上手な方で、ネットワークをたくさんお持ちだった。宮沢賢治にも造詣が深く、賢治が描くイーハトーブ(理想郷)に対抗して丹波の森を提唱したとすると、はまる」とした。

伊谷さんは、幼い頃に河合さんの長男、透さんとけんかをしたという。河合さんと酒を飲むようになったある日、「あのときのけんかは何だったんだ」と聞かれたというエピソードを紹介。「人も自然の一部であり、自然の中に溶け込むことで、いろんなことが理解できると思っておられた」と話した。

河合さんは46年暮らした犬山市のビジョンづくりにも関わった。石田さんは、「丹波篠山に帰ると聞いたとき、ジェラシーを感じた。人を形成する古里力を感じた」と振り返り、「SDGs(持続可能な開発目標)は河合先生の思想そのもの。河合先生の言葉を受け継ぎ、見直すべきだ」と強調した。

酒井市長は、「例えば、コンクリート張りの水路、農薬はけしからんと、学者である限り、言うべきことは言うという強い意志があり、尊敬している部分だ」とし、「今の子どもたちは河合雅雄を知らない。先生の存在、考え方、生き方をいかにつなぐかが課題だ」と話した。

◆かわい・まさを サル研究の権威で、宮崎県・幸島のニホンザルが海水でイモを洗う行動を発見するなど、日本のサル研究を飛躍させた。1956年には愛知県犬山市の「日本モンキーセンター」設立に参加。70年には京都大学教授となり、その後、同大学霊長類研究所所長に就任した。日本モンキーセンター所長、日本霊長類学会初代会長などを歴任。郷里では「丹波の森構想」を中心となって推進。95年には人と自然の博物館(兵庫県三田市)館長、96年には同県丹波市の丹波の森公苑長に就いた。02年には犬山市から帰郷。丹波篠山市では名誉市民に選ばれ、丹波の森公苑を拠点に国蝶・オオムラサキの復活事業に関わるなど、丹波地域全体に多大な功績を残した。研究の傍ら、児童文学作家としての顔も持ち、2018年には94歳にしてファンタジー小説「ドエクル探検隊」を出版するなど執筆活動にいそしんだ。90年紫綬褒章、95年勲三等旭日中綬章。文化庁長官を務めた心理学者の河合隼雄氏(故人)の実兄。

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