同発電所は、1922年6月に総工事費10万9800円、現在の貨幣価値で約11億円をかけて完成。毎時70キロワットを発電し、同地域内全戸に配電していたが、電気事業統合令により、始業からわずか20年で閉鎖。その後、関西電力によって事業が引き継がれ、1963年まで運転した。
同協議会の野垣克已会長(72)はあいさつで、「100年前、発電所を造った先人の努力により、オイルランプから電球へと生活が変わり、上久下における文明開化となった。先輩の労苦に感謝し、その偉業をわれわれも引き継いでいかなくては」と言い、「上久下には、恐竜化石やユネスコ登録を受けた檜皮葺き、そしてこの発電所と、大きな宝を持っている。旧山南町は、今年4月から、過疎地域指定を受けたが、それを逆手にとって、これらの宝を活用して活性化するように持っていきたい」と抱負を述べた。
また、発電所が稼働していた当時を知る柳川瀬義輝さんが、落成式(1923年)では島根県から安来節の一座を招き、連日連夜ちょうちん行列をして祝い唄を歌い地域を練り歩いたことなど、当時の様子を紹介した。さらには、現在も同地域で歌い継がれている同発電所落成時に作られた祝い唄を、安井光廣さん、柏木康弘さんのリードで、参加者のみんなで歌い上げ、手にした風船を野垣会長の合図で空へ放って式典を締めくくった。