NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場し、兵庫県丹波市青垣地域に多い足立姓のルーツ「足立遠元」に関する歴史講演会がこのほど、同市で行われた。「『鎌倉殿の13人』足立遠元と丹波足立氏について」と題し、神戸大学大学院博士課程の小川浩功さんが、現在の足立氏系図は江戸時代後期に写されたものとし、織田信長勢に滅ぼされた後の時代に、丹波足立氏の系譜につながることを主張する意義は何だったのか、近世の問題として足立氏の問題を考えることを提起した。
遠元の子の流れは3つあり、そのうち1つが同市青垣地域の佐治庄地頭職となり、丹波足立の祖になった遠政。遠政の佐治下向時期は2説あり、1975年に編まれた「青垣町誌」が採用した「承元3年」(1209)説は根拠がないとし、承久の乱(承久3年5―7月)の功が認められ、地頭に任命されたと考える方が自然とし、「承久3年」(1221年)説を有力視した。「承元」と「承久」は、足立氏系図を写した際の誤記との見方を示した。
現在の足立氏の系図は、埼玉県(元の足立郡があった)に残る資料から、江戸時代後期に写されたものとし、「江戸時代後期に写されることに何らかの意味があったのでは。例えば写しをつくるのは、分家に渡すとき。近世の青垣町一帯で、足立氏に連なる系譜であることを主張する意義など、近世の地域社会の問題として考える必要がある」とした。
遠政後の足立は、南北朝時代に北朝方に与し、少なくとも2つに分流していると紹介。織田信長方に攻められ、天正7年(1579)に、丹波足立氏は滅亡。戦火を逃れた足立氏が帰農し、足立姓が多いと伝わっている、とした。