兵庫県丹波市春日町野上野出身で、大阪桐蔭高校(大阪府大東市)時代に高校日本一に輝いたバスケットボール選手の小林明生さん(23)が、留学先のカナダの大学選手権(1部リーグ)でチーム初のベスト4入りに貢献した。日本一の夢を高校でかなえて燃え尽き、一度は競技から離れたが、青春の全てを賭けたバスケでコロナ禍の真っただ中にスポーツ特待生として海外留学の道を開き、現役復帰。再び大きな花を咲かせた。「本気で頑張れば道は開ける。自分が実行すれば、道は開ける。夢をかなえたその先に、こんな展開が待っていただなんて」と、人生の面白さを存分に味わっている。
カナダ東部、ハリファックスのセント・メアリーズ大学3回生。同大学が所属する「AUS」リーグで優勝、地区優勝の8チームで争う全国大学大会でベスト4。チームメイトはみなカナダ人。身長170センチの小林さんはチームでは小柄で、ボールを運び、試合をつくるポイントガードのポジション。コート全体を見渡す、バスケットIQの高さ、特に危機を未然に摘み取る守備力が評価され、スターティングメンバーに名を連ねる。「カナダ人選手は大きく、身体能力が高い。足の速さを含む素早さ、技術は日本人が高く、日本人選手が来れば活躍できる」とみている。
◆唯一の日本人
リーグに日本人はいない。「アジア人選手も見たことがない」(小林さん)ぐらい希少な存在。その活躍から、現地メディアをにぎわせている。バスケが国民的人気スポーツのカナダでは、地区リーグから全試合中継があり、大学構内や街で、知らない人から「ハーイ、アキ」と声をかけられる、ちょっとした有名人になっている。
教師でバスケを指導する両親の影響で、春日部小1年で春日ミニバスケットボール教室に入った。県内の強豪、梁瀬中(兵庫県朝来市)で全国4強、大阪桐蔭高校3年時は、ウインターカップ決勝の延長戦で逆転シュートを放ち、チームを初優勝に導く、華々しい競技生活を送った。
◆「別の世界」に憧れ
3学年上の姉が高校時代にカナダに留学。中学時代から、言語や文化が違う「別の世界」に憧れた。卒業後、龍谷大学国際学部に進学。周囲から「競技を続けないの?」と聞かれたが、「もうやりきった」と、引退。キャンパスライフを謳歌した。次の「やりたいこと」の留学先を探す中で、スポーツ特待生でカナダへ渡航する道を見つけた。「するつもりがなかったバスケをもう一度することにし」大学を2回生で休学、2019年8月、小説「赤毛のアン」の舞台で知られるプリンス・エドワード島の学校に語学留学。ポジションは高身長選手が担うことが多いセンターからガードに変わった。高校時代の仲間やコーチに動きを教わり、練習を重ね、2020年カンファレンスで「ACAN」連盟(2部)の新人王に輝いた。
◆大学に入り直す
同じリーグの別の大学の関係者から、チームに迎えたいと、日本の大学を辞め、大学に入り直すよう勧められた。
「今、日本の大学に戻っても中途半端になる」と、4年間の留学を決意。猛勉強の末、英語の資格試験IELTS(アイエルツ)のスコア「6・5以上」(英検1級と準1級の間に相当)の入学基準を突破した。しかし、この大学は2部。1年時はコロナで大会がなかった。トップリーグで競いたい思いが募り、2年時からチームの愛称が「ハスキー」の現在の大学に移った。
◆生活も勉強もある
練習は毎日2時間、週6日。10―3月の毎週土、日曜にリーグ戦。2回生時は地区リーグで敗退し、3回生で初の全国をつかんだ。4回生シーズンは「全カナダ大会優勝を狙う。メンバーがそろっている」。
大学で会計学を学ぶ。学業多忙で、講義ごとに課題があり、練習が終わったら勉強、大会にもテキストとノートを持ち込み、空き時間に勉強する。今が、人生で一番勉強をしている。「中学、高校の人生はバスケだけだった。今は生活があり、勉強があり、そこにバスケがある」
◆両親の支えに感謝
両親には、インターネット経由で試合の中継や録画を見てもらい、アドバイスを求める。「挑戦する環境を与え、共働きで支えてくれる両親に感謝している。将来、子どもを授かったら、両親が自分にしてくれたように、させたい」。年度の変わり目で現在、一時帰国中。家族、同級生、友人との再会を楽しんでいる。