石川県の能登半島地震の被災地に、兵庫県丹波市からも続々と専門職種が入り、支援を行っている。任務を終えて帰郷した県薬剤師会災害公衆衛生部理事の石塚正則さん(68)=同市山南町和田、まるいし薬局=に話を聞いた。
石塚さんは10―14日にかけ、輪島市と隣接する能登半島北部の穴水町に入った。薬剤師チームでは最初で、薬剤師が医師や保健師とチームで避難所を巡回する仕組みを構築。感染症予防のため二酸化炭素濃度測定器を用いて換気の必要性を訴えるなど、避難所暮らしを強いられている被災者を支えた。
町役場がある中心部近くの公共施設に設けられた「町保健医療福祉調整本部」で、兵庫、東京、和歌山、京都、福井、富山の6つの薬剤師チーム18人を統括した。本部に、全国から派遣された医療、保健職種が集まっていた。断水は続いていたが、電気は通り、携帯電話は途切れながらも使えた。
阪神淡路、東日本大震災、熊本大地震、西日本豪雨災害時は、仮設薬局業務を担ってきたが、今回は町内7薬局中4カ所が被災しながらも業務を続けており、薬局の代わりに患者の元へ薬を届けたほか、避難所の支援に注力した。
縦割りの医療チームが入れ替わり立ち替わり避難所を訪れることが被災者の負担になる、との過去の経験を踏まえ、薬剤師を避難所巡回チームの一員として同行させることを提案。多職種チームで支援に当たった。一般名の後発薬の説明など、医師が分かりづらい部分を薬剤師がフォローした。
穴水町に限らず、県内の避難所に配る咳止め、かぜ薬、抗アレルギー薬、げり止め、傷パッド、消毒用エタノール、除菌アルコールなど「常備薬」を段ボール箱に詰め、365セットを作った。
穴水町は、丹波地域以上の過疎地域で、少人数で点在する被災者を集約し、支援しやすい小集団化をはかる途中だった。
薬の飲み過ぎを防ぐため、誰がどの薬をどれだけ使ったかを書類で管理するよう、避難所の管理者に求めた。必要な薬や検査キットの連絡を本部で受け、配達した。インフルエンザ、新型コロナの検査キットの要請が日を追うごとに増えた。ケアに手が回らず、床ずれや、精神的に不安定な人が増えていった。
避難所の一番の問題は、トイレだった。井戸水など、水がある所とない所で天地の差があり、トイレの衛生環境が大きく異なり、便が流せない避難所は便があふれ、悪臭が漂っていた。ノロウイルスも広がっていた。始めは土足禁止だった所が衛生環境の悪化で土足になり、病気が広がる負の連鎖が生じている避難所もあった。ノロ対策で次亜塩素酸水の作り方を書いた紙を配ったり、避難所内の二酸化炭素濃度を測定し、換気回数を増やす助言もした。
道路状況は極めて悪く、トラックがまともに走れない。陸の孤島のように感じた。仲間たちには「危険を感じたら避難所行きを諦めて戻るように」とくぎを刺した。この先の道路が通れるかどうか分からず、前を走る車があることが通行可能を示唆していると考え、付いていった。復旧工事もあり、刻々と通れる道路が変わった。
南西に約40キロの羽咋市の国立能登青少年交流の家に宿泊。輪島市など半島北部の支援に当たる医療チームの拠点でもあり、北部の情報を得た。行けていない避難所がある、と耳にした。
災害前なら、宿舎から1時間以内で着く道が、う回と渋滞で2時間、雪が降った日は3時間かかった。道路沿いに倒壊した家々。地震の衝撃か、地盤の関係か、被害がひどい家は帯状に広がっているように見えた。立ち入り禁止の赤、注意の黄の張り紙がされた建物が広がっていた。
各自が日頃から少し余分に薬を持っておくこと、カップ麺なども多目に備蓄しておくことに加え、手指消毒用のアルコールなど衛生資材の備えも必要と感じた。1回ずつ用を足した後、袋ごと捨てられるポータブル式トイレを、避難所に備えておくことも大切だと感じたという。
石塚さんの後を別の県薬剤師会員が現地で支援を続けている。石塚さんは、最終チームで再訪し、総括する。