崇廣館を現代に生かす
安政5年(1858)、今の県柏原総合庁舎のテニスコート辺りに建てられた柏原藩の藩校「崇廣館」の再建を目指して昨年10月に立ち上げた「崇廣館を再建する会」の会長を務める。設立時の会員は34人だったが、今は柏原町を中心に丹波市内一円の65人に。先ごろ崇廣館の歴史をまとめた本「崇廣館と志士たち」を発行したほか、崇廣館の流れをくむ崇広小学校で学んだ岩槻邦男東京大学名誉教授を招いた講演会を開いた。
2016年から4年間、柏原自治協議会長を務め、崇広小学校の学校運営協議会長も務めた。その中で崇廣館を知った。柏原藩儒の小島省斎の進言を受けて開校し、藩士の子弟らを教育した崇廣館。明治時代には氷上郡役所、大正時代にはキリスト教会となり、信者らが全国でいち早くピーナッツバターの製造に励んだ。「柏原だけでなく氷上郡の教育の原点となり、明治以降も存在感を示し続けた崇廣館は貴重な歴史遺産」という。20年近く前、解体され、部材が眠ったままになっている現状に「何とかしなければ」と思い、有志と共に「再建する会」を立ち上げた。
崇廣館の歴史的価値を広く市民に知ってもらうため、今後も有識者による講演会や、市内の小学校で崇廣館や省斎をはじめとした先人についての特別授業を行うことを計画している。「再建に向けての空気の醸成を進め、会の会員を100人ほどにしたい」と言い、「旧丹波市役所柏原支所の敷地内に今は更地になっている所がある。そこに崇廣館が再建できればと思う。周辺の木の根橋や柏原八幡宮と合わせて一帯を名所として生かし、崇廣館を現代に活用できれば」と話す。77歳。