映画館「ヱビスシネマ。」(兵庫県丹波市氷上町成松)支配人で、ライダーの近兼拓史さん(62)=同県西宮市=が、米・ユタ州の塩湖平原で開かれたオートバイ国際大会「ボンネビル・モーターサイクル・スピード・トライアルズ」で、自身が持つ50ccの世界最速記録を塗り替えた。非力な国産車「スーパーカブ」をベースに、全国各地の金属加工会社約30社と改良を重ねたマシンで猛風の中を快走。新型コロナウイルスや悪天候などの影響で大会出場ができなかった悲運を乗り越え、不屈のライダーが5年越しの悲願をかなえた。
今大会はまたも悪天候に見舞われ、開催が危ぶまれるほどの強風が吹き荒れた。蜃気楼も発生した。最速記録更新者は例年の3割程度にとどまった。
近兼さんのチームは悪条件を考慮して125ccの出場は断念。記録更新の可能性が高い50ccに定めた。標高1300メートルで、日中の気温は50度に迫る過酷な環境で、往復約1・6キロの直線コースを走った。強風の中、通過距離を示す旗の揺れ方を見ながら、風にあおられないようハンドルを握った。1キロ平均で前回の約101・7キロを上回る約102・7キロを記録。だが「もっと良い記録が出せるはず」と、102キロの更新記録を捨て、異例の再走を決めた。
翌々日、変わらず強風が吹き荒れる中、風がやんだタイミングを見逃さずにスタート。冷静なハンドルさばきを見せ、1キロ平均で約107・3キロの新記録を打ちたてた。最高速度は50ccのマシンとしては驚異的な135キロに達した。
「自分のことだけ考えれば挑戦はやめていたかもしれない。だが、応援していただいている人の思いに応えたかった」と5年間を振り返り、「重圧もあったが、肩の荷が下りた。メイドインジャパンの性能の高さを示せた」と喜んだ。
映画監督でもある近兼さんは、日本企業の技術力を世界に示そうと、映画製作を機につながった会社の関係者たちとチームを結成。2018年に初出場し、19年に50ccと125ccで世界最速記録を打ち立てた。さらなる記録更新に向けてマシンの軽量化など改良を重ねた。
ところが、20年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止に。21年はマシンの到着が遅れるトラブルに巻き込まれた。出走登録に間に合うよう、マシンの部品を詰め込んだ車を会場まで1500キロかけて運転。新型コロナの影響で整備士は同行できず、到着後に自ら不眠不休でマシンを組み立てるも間に合わなかった。22年は大雨、23年はハリケーンに見舞われ、中止になった。
渡米やマシンの開発には莫大な費用がかかった。渡米後に中止を知らされたこともあった。「『このままこっちで死んだ方が良いのでは』と思うほど、精神的に追い込まれたこともあった」と明かす。心が折れそうになるたびにチームやスポンサー関係者に励まされ、「なんとか期待に応えたい」と再起。全長約3メートル、全高約75センチで、19年より15キロほど軽いマシンを仕上げ、昨年11月に秋田県で行ったテスト走行で最速記録を更新し、自信を深めていた。
今後、記録更新までの5年間の歩みをまとめたドキュメンタリー映画を製作するという。「ようやくハッピーエンドになった。僕がのたうち回っているところは面白いはず」とほほ笑む。
世界最速記録を持つライダーの最高齢は63歳。「超えたい気持ちはある」と、来年以降の挑戦に意欲をみせた。