今年のえと「巳(へび)」にちなんだ山が、兵庫県丹波市山南町和田にある。県指定史跡「岩尾城跡」がある山は「蛇山」(標高358メートル)で、岩尾城は「蛇山岩尾城」の名で史料に登場する。えとにちなみ、古文書を探したり、歴史に関心の深い人に話を聞いたりして、名前のいわれを調べた。
1608年(慶長13)に書かれた「和田庄内和田邑之来由」を、同市文化財保護審議会委員の山内順子さんに改めて現代語訳してもらうと、次のような内容だった。
「『蛇山岩尾之城』のいわれはこのようなことだ。和田日向守が信州より召し連れてきた家来に岩尾吉助という者がいた。吉助の女房が夜々、城山に通うという不審なことがあった。(略)ある夜、女房がたらいにおびただしい数の蛇子を産んでいた。吉助はそれを見つけ、恐れをなして信州へ帰ったところ、鬼女が慕って追いかけ、しまいに吉助を食ってしまった」―。
この伝承について、歴史に関心の深い地元の梅田章さん(81)は、「家来や蛇が城の名前になっているのは、本来ならおかしい。ネガティブな名を付けて後世に残したのは、和田氏に反発していた住民たちなのでは」と推察する。「住民側から見れば、和田氏には、前の領主を殺され、血のにじむような重労働の築城に駆り出され、恨みが残っていたのではないか。岩尾城は、権力者から見た歴史ではなく、住民たちの思いを考える良い材料になるのでは」とも話す。
一方、異なる見方も。蛇には嫌悪感を持つ人も多いが、民俗学者の吉野裕子さんの著書「蛇―日本の蛇信仰」には、蛇は古代日本で信仰の対象だったと書かれている。こうしたことから、山内さんは「蛇は太古から日本各地で、神として崇敬されており、岩尾城のある蛇山も神宿る山として神聖視されていたのでは」とし、「蛇が、ある種の畏敬の念と嫌悪の両方を感じさせる存在であるように、人々は和田氏に対し、地域を発展させたという尊敬の気持ちと、受け入れきれない複雑な思いの両面を抱いた。その心情を、古来の伝承に載せて語り継ごうとしたのではないだろうか」と話している。
19日に歴史講話と登山のイベント
「蛇山は今年、えとの名が付く山として注目が高まっている。和田地域づくりセンター(丹波市山南町和田)の外に置いているパンフレットは、年末年始の間に30以上の持ち帰りがあったといい、ふるさと和田振興会は「巳年にちなんだ登山客は確実に増えている」とする。
同振興会は19日に講話と登山イベント「岩尾城歴史登山」を開く。午前9時半に同センターで受け付け。丹波市社会教育文化財課学芸員の西岡真理さんの講話を聞いた後、10時半に出発。午後2時ごろ帰着予定。昼食など持参。参加者には缶バッジと、近くの「丹波の湯」半額券を進呈。参加無料。申し込み不要。
同振興会内の「里山づくり協会」は、2020年から城跡の整備を続けている。チェーンソーで山頂付近の木を伐採し、麓から石垣遺構がよく見えるまでになった。登山道も一部付け替え、登りやすくしたほか、頂上にアルミの標示柱も制作した。同協会の村上芳功会長は「巳年に多くの人に登ってもらえればうれしい」と期待する。