バスケットボール一筋に栄誉
長年にわたってバスケットボールの普及発展に尽力し、その功績が顕著だとして、公益財団法人・日本バスケットボール協会が全国13人に贈った「功労表彰」を受けた。「この賞とは縁がないと思っていただけに、まさかと驚いている。身に余る光栄」
篠山中学校、篠山鳳鳴高校、日本体育大学へと進み、いずれのステージでもバスケに励んだが、大学時代にアキレス腱を切るけがを負い、審判・コーチに転向した。
保健体育教諭となり、篠山産業高校へ。振り出しから退職まで同校に勤務し、バスケ部の顧問一筋に歩んだ。教職最終年の2010年、女子部を創部初のインターハイ出場へと導く功績を挙げた。
審判員としても活躍。1987年に日本公認AA級を取得し、2年後、当時はまだ十数人しかいなかった国際公認審判員となり、国内外で大舞台を経験した。「あの頃は、丸一日家で過ごせたのは年間で1週間ほど。全て妻に任せっきりで迷惑をかけた」と苦笑いする。
「審判員にも常に向上心を持たせたい」。そんな思いで02年、日本バスケ協会内に評価委員会を発足させ、委員長に就任。「審判員を評価する。サッカーではすでに取り入れられていた制度だったが、バスケでは初。反発もあったが、今ではそれが世界のスタンダード。取り組んで良かった」と懐古。女性審判の育成・強化にも尽力した。
県協会副会長を歴任し、現在、同協会顧問、丹有協会会長。「昨今、バスケが盛り上がりを見せている。多くの子どもたちがバスケを楽しんでくれたら」と願っている。77歳。