女児集まり高さ競う 廃チューブで「ゴム跳び」 側転し越える技も【シリーズ・昭和100年】

2026.01.11
丹波市地域地域注目

青垣小児童の「ゴム跳び」再現に笑顔の八尾さん(左から3人目)と西原さん=兵庫県丹波市青垣町佐治で

令和8年(2026)は、昭和元年(1926)から数えて満100年。戦後復興、高度経済成長などにおける、さまざまな出来事の中で日本が大きく発展した昭和の時代。一方、「平成」「令和」と時が流れるにつれ、古き良き時代というような懐かしさも込めて「昭和」が使われることが散見されるようになった。そこで、「楽しかった昭和」にスポットを当て、当時の“アルバム”の一部をひもといた。時代の再発見と、輝かしい未来につながることを期待して。

「男の子は山で戦争ごっこをしよっちゃった(していた)。私ら女の子がよく遊んだのはゴム跳び」と、昭和6年生まれの94歳、八尾幸子さん(兵庫県丹波市氷上町)は懐かしがる。同町賀茂生まれで、幸世尋常小学校に通った学童期は戦争の真っただ中。物資が乏しく、遊び道具らしい道具もなく、ゴム跳びのゴムひもは、自転車の廃チューブ。1本のチューブを輪切りにし、つないで2、3メートルのゴムひもにした。「ゴムひもは貴重で、持っている子は少なかった」

ゴムの両端を2人が持ち、ゴムを飛び越える高さを競う。「くるぶし」「膝」「腰」と頭に向かって順にゴムの高さを上げていった。

「高くなると、助走をつけてジャンプして利き足でゴムひもを引っ掛け、高さを低くして体を半回転させ跳んだ」と遠い昔を思い起こす。

「頭」がゴールでない。頭の上に手を掲げ、「小天狗」「中天狗」「大天狗」とさらに高くした。「しまいには側転してゴムに足を引っ掛けて跳ぶ上手な子がいた」と笑う。

自転車のチューブで戦時中のゴム跳びのゴムひもを再現した八尾さん。平ゴムを持つ西原さん

八尾さんの知人の西原孝代さん(76)=同市青垣町=は、「私らのゴム跳びは、俗に『パンツのゴム』と呼ばれる、白の平ゴムを輪にして使った。両足で2本のゴムを踏んだり、またいだり、180度回転したりした。一緒に遊ぶ人数が多いときだけ、八尾さんの時代の『1本のゴム跳び』をした」という。戦後、物資が少し豊かになったことがうかがえる。

くるぶしから段々高さを上げていくのは同じ。「遠い山の向こうの知らない街よ」(フランス民謡「遠くの町」)と、歌いながら遊んだという。

関連記事