
生涯の趣味、標語・スローガンコンクールへの応募で「1000回入選」を達成した村岡孝司さん=兵庫県丹波市柏原町柏原で
数万点の応募がある難関の「全国交通安全年間スローガン」で前人未踏の5度の内閣総理大臣賞を受賞するなど、標語づくり名人として知られる兵庫県丹波市柏原町の村岡孝司さん(83)が、入選1000回を達成した。標語の応募を始めて55年。病を乗り越え、節目に到達した。「趣味でいろんな物を集めている人がいるが、私のコレクションはお金を出しても手に入らない。応募して審査員に選んでもらわないといけないから」と、心血を注ぎ積み上げた栄誉に万感の思いでいる。
節目の1000回目は、「第67回水道週間協賛標語」。3190点の中から準特選を受賞。「いい水が飲める幸せ次世代へ」。村岡さんが「年中行事」で毎年応募する定番35公募の一つ。1991年を始まりに過去4回は入選だった。
昭和から平成に変わる頃、入選200回になり、「表彰状500枚、入選1000回のとてつもない数字」をおぼろげな目標に定めた。5年前、先に「表彰状500枚」を達成。もう1つの目標も2、3年で到達する見通しだったが、2021年末に病気が判明。入院、治療で応募が十分にできず、22年は入選5回にとどまった。「1000入選は無理だろうなあ」と諦めそうになった。
体調は万全でないものの自身を奮い立たせ、翌23年に年間60―70コンクールの賞レースに復帰。この年、入選17回とカムバックを遂げた。25年は「カウントダウン」の年だった。

村岡さんの受賞記録。2025年は12月20日までに「1002回」まで記録が伸びた
「年間20回でも50年かかる。大病をし、ペースが落ちて達成できたのは、われながら、なかなかなことをした」と喜ぶ。今の心境を、19年の「コモーレ丹波の森」の「七夕川柳コンテスト」最優秀作「星になる際まで楽しむわが人生」になぞらえる。「ひょっとしたらまた入るかも、という楽しみ」があるコンクールへの応募を、体調と気力が続く限り続けるつもりだ。
会社員をしていた27歳の時、氷上郡(現・丹波市)交通安全協会の交通安全標語で賞に入ったのがキャリアのスタート。以来、標語やキャッチフレーズ、愛称などの創作活動を始めた。ヒントを探し、言葉を練りに練る生活を続けている。
生涯の趣味を得たことで老後が充実。賞金、商品券などの副賞で、年金暮らしが少なからず潤っている。
1990年頃まで入選者は、中年、年配男性ばかりだった。女性、子どもの台頭が著しく「特有の感性に負けないように」意識している。競い合ったかつてのライバルは名前を見なくなった。
【村岡さん自選思い出の入選作】
▽昭和45年 氷上郡交通安全標語(初入選)=「お母さん 急がず握ろう 幼児の手を」
▽平成8年度 時の記念日(最優秀賞)=「時守る マナーを育てる街ぐるみ」
▽平成12年 和歌山熊野川のキャッチフレーズ(優秀賞)=「いにしえの 薫り織りなす 熊野川」
▽平成16年 第29回全国育樹祭テーマ(最優秀賞)=「萌える緑に ひろがる未来」
▽平成16年 京都産業会館の愛称(最優秀賞)=「きらっ都プラザ」
▽平成18年 第61回のじぎく兵庫国体スローガン(最優秀賞)=「“ありがとう”心から・ひょうごから」
▽平成21年 平成21年使用全国交通安全スローガン(内閣総理大臣賞)=「渡れそう 今なら行けるは もう危険」
▽平成23年 平成23年使用全国交通安全スローガン(内閣総理大臣賞)=「行けるかな 渡れそうでも 待つ勇気」
▽平成25年 函館市路面電車百周年キャッチコピー(最優秀賞)=「一〇〇年の 歴史を乗せて 夢・未来」
▽平成26年 丹波市制10周年キャッチフレーズ(最優秀賞)=「人かがやいて10年 夢きらめいて未来」
▽平成27年 平成27年使用全国交通安全スローガン(内閣総理大臣賞)=「早めから つけるライトで 消える事故」
▽平成30年 平成30年使用全国交通安全スローガン(内閣総理大臣賞)=「行けるはず まだ渡れるは もう危険」
▽令和7年 令和7年使用全国交通安全スローガン(内閣総理大臣賞)=「危険です ながらスマホで 踏むペダル」


























