今年のノーベル化学賞で、「超解像蛍光顕微鏡」の開発で米独の3人が受賞したが、その基礎分野を開拓した丹波出身の柳田敏雄氏が漏れたのは残念だった。それはさておき、物理学賞の日本の3人のうち、「怒りが研究のばねになった」と述べる中村修二氏は、歴代の22人の中でも突出して異色だ。▼東大や京大でなく徳島大の出身。就職も京セラに合格していたが、学生結婚した妻と子の養育のため地元の、無名に近かった日亜化学を選んだ。▼しかし社内では不遇で、商品化したものも売れず、未実用の青色発光ダイオード(LED)に挑戦しようと、創業者の故・小川信雄氏に直訴して米国留学を果たした。「ほな、やってみろ」と開発費も思い切ってつけてくれた彼に「最も感謝している」という。▼それがきっかけで日亜は飛躍的に業績を伸ばしたが、中村氏は特許を巡って同社に200億円を求める訴訟を起こす。1審で勝ち、高裁で8億円余で和解。その後再渡米して教授に迎えられ、市民権も得て実質米国人になった。▼「日本には優れた資質の研究者が多いのに色々な面で環境に問題がある」と力説し、意欲のある若者に米国などに雄飛することを勧めている。的を射ているかどうかはよくわからないが、個性の強い人を排除しがちな日本社会には、傾聴に値しよう。(E)