「学舎は焼くとも教育は焼くな」。篠山藩主の子として江戸に生まれ、篠山鳳鳴高校のルーツである私立篠山中年学舎を明治9年に創設した青山忠誠(ただしげ)の名言である。郷土の発展のためには人材育成が不可欠との思いから同学舎が創設された。▼忠誠は、福沢諭吉に私学の経営について相談。志に感銘した福沢は、英語、物理・化学の2人の教師を篠山に送るなど同学舎を応援した。やがて公立篠山中学校に改称。順調に運営されていたが、明治16年に全焼。翌17年には、公立中学校は1府県1校に限られることになり、廃校の危機にさらされた。▼そんな困難な事態に直面した時に忠誠が発したのが冒頭の名言。私財を投じて私立鳳鳴義塾をおこし、明治18年には存続の許可を勝ち取って、教育の灯を守った。▼この年、氷上郡では柏原に氷上高等小学校が設立された。設立時の棟札には「教育は国家の根底なり。学校は教育の土壌なり」とある。▼高等小学校跡の建物がこの4月、「たんば黎明(れいめい)館」(正式名称は丹波市立旧氷上高等小学校校舎)と名を改め、リニューアルオープンする。黎明とは、「夜明け」「新しい時代の始まり」の意味。忠誠の名言や棟札の言葉から伝わる先人の気概。当時はまさに、教育を通して明日の郷土を築こうとした黎明期だった。(Y)