「看護師に『僕は…』と名前を告げており『わし』や『私』と違う父見つ」。本紙7面の「うたの小箱」に取り上げられている歌だ。僕、わし、私。一人称代名詞を状況に応じて使い分ける老齢の父親の姿を詠み、面白味がある。▼この歌にあるように日本語の一人称は数多い。たとえば、ほかに「俺」「われ」「うち」「小生」などがある。西洋人には、この使い分けが難しいらしい。キリスト教では神の下、みんなが横一列に並んでいる。なので「私」は、どこでも誰に対しても「」だからだ。▼日本人は、置かれている場や相手によって、ふさわしい一人称を選び取る。対人関係に気を配る国民性だからこそ、多様な一人称が生まれたのだろう。敬語が生まれたのも、礼儀や謙譲の精神を美徳とするのも、対人関係を重んじる文化が背景にあるのだろう。▼さらに日本語の一人称で面白いのは、一人称が二人称に転化されることもあることだ。たとえば、「われ」もそう。「わたし」を意味しながら、時には「おまえ」という意味で使われる。これは自分と他人との間の垣根があいまいなことを物語っていると言える。自他の区別があいまいな土壌では、西洋のような個人主義は育ちがたい。▼ふだん何げなく使っている日本語だが、母国語はその国の文化そのものであることを知る。(Y)