22日付本紙のコラム欄「やすらぎ」で、「欅のもみじ」とあった。「ケヤキのもみじって、どういうこと」と思われた人もいたかもしれないが、「もみじ」はカエデの別名であると同時に、「晩秋に木の葉が赤や黄色に色づくこと。また、その葉」のことであり、「欅のもみじ」と表現していい。▼そもそもカエデだけでなく、ナナカマド、ハゼなどの木々の葉っぱがきれいに紅葉するさまを「もみじする」といった。言語学者の金田一秀穂氏によると、もみじする中でもっとも代表的だったのがカエデだったため、カエデがもみじの呼び名を独占したという。▼言葉の成立には、こうした独占がときどき起きるらしい。興味を覚える話だが、言葉の独占はあっても正義の独占はあってはならないと、テロリストの暴挙につけてもそう思う。▼「正義は我にあり」と、自分たちの奉ずる正義を絶対的なものにし、くみしない者を排斥する。宗教、文化、歴史などによって正義はそれぞれに異なるのに、他者が奉ずる正義を認めず、自分の正義こそ真理と自己本位になる。こうした錯誤から人は多くの愚行を繰り返してきた。▼仏教思想家のひろさちや氏によると、仏教ではインド神話を受けて正義の神を「魔神」にしたという。魔神とは、災いを起こす神のこと。うなずける話だ。(Y)