11月26日号本欄で「神社にも寺にもキリスト教会にも行く日本人の宗教心は良い加減ではあるが、世界に自慢できると、トルコの人に話し賛同を受けた」と書いたら、読者から「宗教に無関心で、世間を気にしているだけ。自慢できるようなことではない」との投書を頂いた。▼確かに、そのような日本人の特性は自慢するようなことではないかも知れない。ただ、決して宗教に無関心なわけではないと思う。▼家一軒建てるにも、何度も神官を招いてお祓いをする。亡くなった家族には毎日、毎月、あるいは何年経っても供養を続ける。これらは半ば形骸化した慣習にせよ、やはり「自然界に神が宿っている」、「ご先祖が今も自分達のそばにいる」ことが、無意識に心の中にしみこんで、自発的に行わせているのではなかろうか。▼小紙01年元日号で故・河合隼雄国際日本文化研究センター所長(当時)が丹波市の僧侶らとの対談の中で「日常生活の中に宗教が入り込んでいるのが日本人の特徴。だから宗教性というものを持っているのだけれど、意識化して形にならない」と話している。「それをしっかりやるために宗教家の役割が大事になる」とも。▼その点は僧侶や神官にいま少し認識して頂きたいが、このような日本人の特性は、やはり外国人に参考にはなるのではないか。(E)