河童

2015.12.12
丹波春秋

 妖怪漫画の第一人者とされる水木しげるが少年時代に篠山で暮らしていたという記事が先日の本紙に載った。記事によると、水木は篠山の山中で妖怪に出会ったそうだが、河童にも出会ったろうか。▼思想家の鶴見俊輔は、水木について「官僚の哲学の支えとなっている科学技術振興を疑わしい目で見ていた」と書いている(『戦後日本の大衆文化史』)。高度経済成長の行く末についても案じ、それらの思いを表現したのが1962年にかいた『河童の三平』だったという。▼62年というのは、河童の消息が途絶えた頃と符合する。というのも、昭和30年代中頃から、それまで日本各地で聞かれた「河童を見た」という証言が消えてしまったというのだ(千賀裕太郎氏『よみがえれ水辺・里山・田園』)。▼河童が人の前から姿を消した背景には、科学技術時代や高度成長の到来があろう。科学的精神が重んじられ、超自然的な事物が「まやかし」と退けられると、河童は作り話になってしまう。高度成長によって経済が価値観の上位に座り、自然も経済的な価値があるかどうかで判断されると、河童の居場所がなくなってしまう。▼市島町とゆかりがあり、河童を好んで描いた画家の小川芋銭は「河童は、見える人には見える」と語った。水木は篠山で、河童を目撃したろうか。(Y)

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