土雛

2016.03.26
丹波春秋

 「毎年三月も近くなると、私の故郷丹波の山奥にも雛売りが来た」。春日町出身の詩人、深尾須磨子の『丹波の三月』にある一文。「もしもあの当時と同様の土雛が、今も私の故郷で手に入るものなら、その幾つかを購うて年毎の節句を飾りたいとさへも思ふくらゐだ」。雛売りが扱い、深尾家の床の間を飾った土雛は稲畑人形だそうだ。▼稲畑人形は、江戸時代末期から氷上町稲畑で作られ始めた。創始者は赤井若太郎忠常。伏見人形に魅せられた若太郎は、地元で取れる良質の土を生かして人形を作ろうと、稲畑人形を生み出した。▼教育家でもあった若太郎。子どもの教育に生かしたいという思いから、稲畑人形には歴史上の偉人や説話の主人公をモデルにしたものが多い。丹波地方の雛節句には親戚縁者などから贈られた稲畑人形があり、その人形のそばで親は子どもに「大きくなったら立派な人になれ」と言い聞かせた。▼須磨子も、人形のモデルにまつわる物語を親から聞いたのだろうか。素朴な土雛を囲む親子の光景を想像すると、ほのぼのとする。▼多紀郷友会発行の会誌「郷友」の元編集長、山口博美さんは「稲畑人形の出荷先は多紀郡が一番多かったといわれている」と書いている。その篠山市できょう27日まで「丹波篠山ひなまつり」が開かれている。(Y)

関連記事