政府は、2019年の元日から新しい元号にするべく検討に入ったという。「平成」に改元する際、過去に使われた元号でないことも基準の一つになったそうだが、実はおよそ150年前に平成が候補に挙がっていたことを磯田道史氏著の『江戸の備忘録』で知った。▼江戸末期の元治元年(1864年)。平清盛らが戦った「保元・平治の乱」のときのように、武家が京都で戦争し、都が丸焼けになった。「保元と平治から一文字ずつ採った元治という年号のせいだ」という話になり、改元を検討。そのとき、平成も候補に挙がったが、「平成では、また平治のように成る」との理由で却下された。このとき平成は、縁起が悪いとして遠ざけられた元号だった。▼1世紀以上を経て日の目を見た平成もはや29年目。平成の時代を振り返ってみると、阪神淡路大震災や東日本大震災、丹波地方では丹波市豪雨災害と、自然の猛威にさらされた時代だったと思う。▼「地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやってくるのである」とは、寺田寅彦の言葉。自然ほど伝統に忠実なものはない。▼平成は縁起が悪いから災害が頻発している訳ではない。伝統に忠実な自然災害は、縁起などに「委細かまう」ものではない。「1・17」を前に改めて思う。(Y)