花は散らない

2017.03.25
丹波春秋

 我が家の庭に椿が咲いている。その花を見ると、決まって丹波市俳句協会の足立頼昌会長の俳句を思い起こす。「浄土より迎えの道や椿落つ」。浄土に通じる道に落ちている椿。鮮やかに咲き、はかなくも散った花の姿に死の影が漂う。▼「花びらは散っても花は散らない」。仏教思想家の金子大栄氏の言葉だ。人は死ぬことによって肉体的には消えても、その死を悲しみ、弔う人がいるかぎり、 その人の 「花」は散らないという意味。▼人は二度死ぬとも言う。一度は肉体的な死。のちに、その人を思い出す人がいなくなったとき、二度目の死がやって来る。数学者の藤原正彦氏は、父親で作家の新田次郎氏が亡くなったとき、「肉体は有限であろうとも父を絶対に向こうに行かせまいと心に誓った」という。二度目の死を迎えさせまいと誓ったのだ。▼祖父を知らない息子達にほぼ毎日、父の思い出を語って聞かせた。息子達が20歳代になったとき、新田次郎の作品が映画化されることになり、息子達は出演を依頼された。丸坊主になることが条件だったが、「おじいちゃんの映画なら」と快諾した。孫の心の中に祖父は生き続けていたのだ。▼弊社では、故人を偲ぶ追悼集の編集・印刷のお世話をさせていただいている。花を散らせないための手立てになればと願っている。(Y)

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