日本経済の潤滑油
上田八木短資会長 上田元彦さん (東京都在住)
(うえだ・もとひこ) 1931年 (昭和6年) 芦屋市生まれ。 大阪大経済学部卒。 日本銀行から73年上田短資取締役。 87年社長、 97年から現職。
上田八木短資は、 一日単位で膨大な額の資金を動かす短資会社の最大手。 銀行同士をつないで資金量の過不足を調節し、 経済活動に支障なくお金が回るようにする、 日本経済の“潤滑油”的な役割を果たす。 また子会社の上田ハーローは東京の外国為替市場となっている。
父の故・上田要氏 (春日町棚原出身) が大阪で創業してから、 今年で85周年。 「金融市場は厳冬の時代。 回復にあと三年はかかるでしょう」。 短資市場ではゼロ金利を通り越して、 利息を払ってお金を貸す 「マイナス金利」 さえ珍しくなくなっている。 日本の銀行が外国の銀行からドルを調達する際の割引料が高くなったための現象で、 外国銀行はマイナスとマイナスの差で利ざやを稼げるわけだ。 これも円の弱さを示す現象という。
日本銀行で金融の基本を習得してから、 42歳で上田短資 (昨年、 八木短資と合併して現社名) に。 社長職にあった10年間は社業を隆盛に導き、 創業以来の企業哲学である 「報本反始」 (先祖の恩に報いる意) や 「正、 清、 誠」 の三セイ主義を社員に徹底した。 何かことが起きると何故そうなったか、 世の中の流れは今後どうなるかを見通すビジネスの感性を持つよう社員に説いた。 「車馬の時代に、 車のスピードに適応できず、 ひかれて死ぬ犬猫が多く出たとします。 すると、 これからは車社会になるから自動車会社に投資すればいいのではないかと考える。 そういうことですね」
会長職になっても朝夕、 ニュース報道を欠かせないが、 大所高所からのアドバイスに止めている。
父、 要氏は関西氷上郷友会の会長を長らく務めるなど、 丹波への思いが人一倍強い人だった。 芦屋で育った元彦氏も、 幼少のころから毎夏帰郷し、 小川での釣りや三尾山で遊んだ。 戦時中、 疎開して9カ月ほど柏原中に通ったことも。 棚原には上田家代々の墓のほか、 物故役職員の供養搭があり、 毎秋、 幹部社員が墓前祭をする。
今も健在の棚原の実家に 「一人で決められるなら、 引退後に住みたいですね。 窯を造って陶芸三昧でもできれば」 と静かに笑った。
(上 高子)