ビーチバレー全日本強化指定選手 小泉栄子さん

2007.04.18
たんばのひと

北京めざし世界転戦
(こいずみ・えいこ)神奈川県平塚市在住

1973年 (昭和48年) 岡山県生まれ。 小学2年のとき明石へ。 92年氷上高校卒業。 イトーヨーカ堂のバレー部 (埼玉県) に7年間所属後、 退社。 東北パイオニア (山形) に移籍。 明石でスポーツインストラクターなどOL生活を経験。 05年からビーチバレーを始めた。

 北京五輪ビーチバレー候補選手。 昨年、 中東のカタールで行われたアジア大会で銀メダルを獲得し、 一躍注目を浴びた。 今年5月から来年7月まで、 世界中を転戦。 世界ランク24位以内が五輪選手の条件 (現在は35位)。
 1年の半分以上、 海外試合に明け暮れる。 「今年の夏は、 ヨーロッパを巡り、 賞金稼ぎで暮らします」 とたくましい。 残りは、 平塚のビーチパークで砂にまみれて練習の日々。 日焼けした元気な顔で 「必ず北京へ行きます」。
 中学生からバレーボールを始め、 県代表として全国大会へ。 バレー界で有名な 「高見諭監督」 に見出され、 氷上高校へ進学することに。 「氷上なんてどこにあるか知らなかった」 が、 「春日局」 生誕の地で知られる興禅寺の隣と言えばだれにでも分かってもらえた。 学生寮と、 体育館の往復だけの単調で厳しい生活の中で、 町中の応援に励まされた。 「必ず全国優勝させてやるという高見監督を信じて付いていったら、 3年生のとき全国優勝できた」。 卒業後もVリーグで10年近く活躍。
 一時バレーから離れ、 半年OL生活をしたが、 ビーチバレーで再起して2年、 日本のビーチバレー・ナンバーワンの田中姿子とペアを組んで頭角を現わし始めた。 「とても息が合うんですよ」。 室内バレーとの違いは、 風と太陽の自然条件に左右されること。 また2人制なのでボールに触る頻度が多い。 「身長が170?と低いほうだから、 室内では限界を感じ始めていたけれど、 すべてのスキルが必要なビーチバレーは自分に合っていると思う」。
 10年近く前、 母校を訪問。 「昔の寮はすでに壊され、 全国優勝記念に新しい寮が建っていました。 氷上は第二の故郷ですね」。 東京のお台場で9月14日から16日まで、 小泉さんの試合が見られる。 「応援をよろしく」 とにっこり。 (上 高子)

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