宇宙航空研究開発機構プロジェクトチーム主任開発員 田邊宏太さん

2008.01.10
たんばのひと

身近にある宇宙船
(たなべ・こうた)茨城県つくば市在住

 1971年 (昭和46年) 北海道生まれ。 丹波市氷上町葛野育ち。 柏原高、 大阪大大学院基礎工学研究科修士課程修了。 1995年、 宇宙開発事業団へ。 外務省に出向し、 約3年間、 ウイーンの政府代表部に勤務。

 国際宇宙ステーション内の実験装置や、 宇宙飛行士の滞在に必要な生活物資などを補給する宇宙船 「HTV」 の開発に携わっている。 2009年夏に種子島から打ち上げ予定の一号機を製造中。 「一時、 ロケットの打ち上げ失敗などが相次ぎ、 日本の宇宙開発は遅れていると心配されましたが、 もう大丈夫でしょう」。
 田邊さんの担当は、 電気モジュール部分。 国内の設計や製造業者との打ち合わせのほか、 NASA (米国航空宇宙局) などへの海外出張も毎月だ。 「NASAとのふだんの連絡は、 電子メールや電話会議、 ビデオ会議を使います。 気が抜けないので、 昼休みのサッカーでストレスを解消しています」。 15時間の時差があるので、 電話会議だと、 向こうが朝7時でこちらは夜10時。 それから打ち合わせをすませると帰宅は深夜。 宇宙と聞くと、 途方もなく遠いところに感じられるが、 国際宇宙ステーションは、 東京―大阪間もない高度約400キロにあるそうで、 「僕には、 結構身近ですね。」
 少年時代から空に憧れていた。 大学院で小型ロケットの研究をし、 宇宙開発事業団 (宇宙航空研究開発機構の前身) に就職。 宇宙科学の技術者ではあるが、 「仕事のほとんどは技術者間の調整で、 大事なのはコミュニケーション能力です」。
 NASAとの交渉では、 自分の信念を伝える。 譲れないところは絶対に守らなければならないので、 けんか腰のことも。 合意に至るにはある程度の妥協も必要だが、 自分の主張を伝え合ってギャップを埋めていく過程で、 信頼関係が築かれる。 「安全に所定の場所に物資を届けるという目的は共通。 日本の技術は高いです。 僕は日本人のきめ細かいところをアピールしています」。
 父の転勤で5歳の時、 丹波へ。 柏原高校理数コースの1期生。 「生まれた所ではないけれど、 保育園以来の思い出はいっぱいありますよ」。 (上 高子)

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