釣具でふる里との縁
(はやし すすむ)埼玉県川越市在住
1951年 (昭和26年) 京都市生まれ。 柏原高、 日本大経済学部卒。 73年 「釣具界」 入社。 86年から現職。
旬刊 (月3回発行) の業界紙 「釣具界」 の記者から社長に。
釣用品の市場規模はこのところ縮小が続いており、 ピークだった1997年に比べると6割までになった。 「不況のため、 全般に業界紙は不振。 廃刊するところもある」 と寂しそう。 ただ、 釣りの環境としては悪くない面も。 「まがりなりにも休日が増え、 あまり金のかからない 『釣りでもやろうか』 という人が増える可能性が」。
釣針の生産シェアは兵庫県が9割を占め、 品質も世界をリードする。 江戸時代末期、 東播地方で農家の副業として始まったのが、 西脇市を中心に産地を確立、 加古川上流の丹波市山南町にまで広がった。 手作りの毛鉤では、 「工芸品」 とも言える伝統技術を守っている。 「新聞記者だった父の背中を見て育ち、 『自分も』 と、 たまたま東京で求人に応じて、 この業界紙の会社に入ったのですが、 丹波に関係があったというのは、 何かの因縁ですかね」。
釣りは一見、 気長な人向きの趣味に見えるが、 実はそうではないという。 「ブルブルっと手ごたえがあることを釣り用語で 『魚信』 というのですが、 感じて瞬時に竿を上げるのは、 運動神経が要ります。 のんびり糸を垂らしているようで、 『餌は、 糸の太さは、 針はこれでいいか』 と頭はめまぐるしく回転させているんですよ」。
自身は釣り向きではない。 柏原高時代、 3000メートル、 5000メートルの長距離走で近畿大会優勝を果たした。 「丹波新聞に大見出しで出してもらった時のことは、 今も鮮明に憶えています」。
父が神戸新聞の丹波総局長をしていた関係で中学、 高校時代を柏原で。 その前後は県内を転々としたが、 「最も多感な時代を過ごしたわけですから、 家や墓はなくても、 やはり丹波が故郷ですね」。 (上 高子)