十一日から東京の明治神宮球場で行われる全日本大学野球選手権大会に審判員として参加する。 近畿学生野球連盟に所属し、 大学野球では関西地区5リーグ対抗戦で主審を務めた経験もあるが、 全日本選手権は初めて。
●「全日本選手権で審判をするのは、 おそらく丹波で初めてではないかと思います。 全国からアンパイア (審判員) が集まってくるなか、 関西の代表として恥ずかしくないよう、 謙虚に勉強するつもりで参加してきたい」
「若いころは国鉄のチームでピッチャーをしていました。 地元で軟式野球の審判を手伝うようになり、 本格的に審判の勉強を始めたのは、 高野連の幹部に 『硬いボールの付き合いをしないか』 と誘われてから。 スコアや試合の思い出はたくさんありますが、 会社勤めだけでは得られない感動を味わえたことが、 何よりの財産です」
「アンパイアは選手の球、 足、 タッチの速さに勝たなければならず、あらかじめどんなプレーが起こるか予想することも必要。 これらに対応するため、 ストレッチ体操は毎日やっています。 六十歳を過ぎると反応は遅くなりますが、 広く全体を見られるようになりました。 歳とともに勉強させられます」
「少年野球や中高生の試合では、 道具の扱い方やマナーについても厳しく指導します。 田舎では 『かたい事を言わないで、 適当に』 という人が多いが、 どこへ出ても通用するようにしてやらなければなりません。 野球を通じて子どもたちの成長を助けたい」
「お金にならないことなので、 審判をする人が少ないのが残念。 後進の育成が大きな課題になっています。 高校生のために協力しよう、 という若者が出てくれればうれしいですね」
○社会人野球の県野球連盟から今年一月、 長年の尽力をたたえて功労賞が贈られた。 県高野連では審判部参与。 公式戦の審判からは引退し、 公式記録委員として協力している。 丹有で初の硬式審判員となり、 県高野連丹有支部に審判部を創設した人でもある。 1959年に国鉄 (現JR西日本) に入社し、 定年まで勤めた。 自宅から都市部の勤務先に長年通っており、 “外からの視点”が光っている。 山南町谷川。 61歳。(J)