89歳で個展、93歳で歌集
60歳代半ばを過ぎてから絵画、短歌を始め、89歳で初めて絵画の個展を開催した。短歌は、「丹波歌人賞」を取るほどの腕前。93歳になった今年、初めての歌集が出た。
大正11年1月1日生まれ。「1が並び、『幸せやろ』と聞かれることもありますが、波乱万丈でした」。18歳で大阪の百貨店に勤務。いとこと結婚し養子に迎えた。「夕立のような音を立てて降る焼夷弾」を経験し、敗戦後、帰郷。30代で編み物教室を開いた。
絵画は、子どもの頃から好きだったといい、個展では50号の油絵や、公募展の入賞入選作品を展示した。2年前から絵は描いていない。「食べるものも着るものも始末して打ち込んだ」という絵画だが、「作品を人にあげることもあります。油絵は塗り重ねができるので、キャンバスとして再利用してもらったらと思って」と屈託がない。
アレルギー性のぜんそくの持病があり、ひどいときは1週間に3、4回、病院で点滴を打ってもらう。7年前には、がんを患った。2年前、やさしかったという夫が死去。歌集には、歩んだ人生の哀歓がにじむ。月に1回、一緒に歌会を開いている丹波市内の歌人、竹村公作さんや足立瑞穂さんらが力を合わせて作ってくれた手づくりの歌集だ。「自分では歌集を出すつもりはなかったのに、みなさんが作ってくださり、ありがたい」
テレビの国会中継が見るのが好きで、新聞は1時間ほどかけて読む。新しい言葉を見つけたときはメモを取る。「好奇心が旺盛なんです。この年になると、何でもいいから打ち込んで頭を使わないと」という。『ドアチェーン外さぬ儘の一日なり九十三歳天下泰平』。歌集の中にある1首だ。