「終にしてきたりし白寿天上のはるけき星のきらめき仰ぐ」―。昨年7月で99歳になった。今でも星空を眺めるのが楽しみといい、星がきらめく夜空を見上げながら亡き人を恋い慕って詠んだ。
短歌を友とし、半世紀を過ごしてきた。「パラソルの小さな影をひい孫とシェアして愛を育みており」―。幼いひ孫に与えられるものは何もないけれど、幸せを分かち合いたいという思いを歌に込めた。「何気ない日常のできごとを題材に、湧き出す言葉を連ねて歌に紡いでいくことが楽しくて仕方がありません」。
46歳のとき、近所の人から誘われ、短歌を始めた。本格的に学ぼうと51歳で「薔薇短歌会」に入会。月に一度、本部がある夙川まで出向いて感性を磨いた時期もあった。現在は、四季の森生涯学習センターで月に一度開かれる歌会に顔を出し、15人の歌友らと楽しんでいる。
1980年ごろ、思い出に残る出来事があった。「風花が宙に舞いつつわが唇に溶けるひとひらひとひらの夕陽」。この歌が、朝日新聞の連載コラム「折々のうた」で掲載された。著名歌人らが紹介されるコーナーに取り上げられ、「もう、うれしくてうれしくて。泣きました」。風に乗ってひらひらと花びらのように舞う雪のことをいう風花。夕暮れ時、宙を舞う風花がくちびるに触れたとたん、すっと溶けてゆく感触を詠んだ歌だ。
88年には、495首を収載した初の歌集「藍青譜」を自費出版した。その4年前に74歳で他界した夫の勧めもあっての出版だった。「死ぬまでにもう一冊作れたら」と意欲的に語り、「人生最後の辞世の句は、歌友をうならせるものにしたい」とほほ笑んでみせた。