うざい社会

2007.10.29
丹波春秋

 古くからある言葉のように思えて、意外に歴史の浅いものがある。たとえば、この時期に降る「秋雨」。これは江戸時代中頃、春雨に対する言葉として生まれた。時の文人たちは、この言葉の出現を苦々しく思ったようで、「とんでもない言葉が生まれるのは嘆かわしい」と、嘆息がもれた。▼「牛耳る」「野次る」は、明治時代に生まれた新語だ。作ったのは、夏目漱石。当時の感覚からすれば、おかしな言葉を漱石は次々と生み出したらしい。東大で漱石の授業を受けた言語学者の金田一京助は、「妙なことばかり言う」と眉をひそめた(金田一春彦『日本語を反省しませんか』)。▼しかし、「牛耳る」の元になった「牛耳をとる」よりも、「牛耳る」の方が今では一般的。新語が生まれたときは抵抗がみられても、やがて消え失せ、人々の間に定着する。そう思うと、新語の出現に目くじらを立てることはないかもしれないが、広辞苑に収録されることになった「うざい」はいただけない。▼人は、言葉に左右される。「辛い」「悲しい」と、日ごろ否定的な言葉を口にしていると、心もふさいでくる。同様に「うざい」を連発していると、いつしか心までうざくなるのではないか。▼「うざい」が広辞苑に収録されるのは、社会に定着したからだ。それだけ、うざい社会になったのか。(Y)

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