鉄腕 稲尾和久

2007.11.22
丹波春秋

 元西鉄、稲尾和久投手の死を翌日、例外なく各紙の1面コラムが悼んだ。多分いずれの筆者も、かつて神様、仏様、稲尾様の鉄腕に胸躍らせた野球少年だったのだろう。▼かく言う丹波春秋子も多少の縁がある。伝説の日本シリーズの昭和33年は中3だったが、その感動を「闘志と自信」という原稿にしたため、校内弁論大会で優勝した。大車輪の活躍を支えた不屈の精神力と体力に、少しでもあやかりたいという気持だったと思う。▼この年の西鉄の凄さについては、対巨人戦「3連敗4連勝」ばかりが語り草となったが、それ以上に欠かせない、ペナントレースの前段がある。オールスター戦直後、首位南海に11ゲーム差をつけられていたのを終了間際、13連勝してひっくり返したことだ。稲尾はこの時、先発・救援で実に12試合をフル回転し、7勝を挙げた。▼津々浦々の野球少年を興奮させた稲尾だが、たった2年前の入団時は全くの無名で、キャンプではバッティング投手だった。ところが、中西、豊田らの野武士たちに顔面すれすれの痛打を浴びながら、それをかわしたいと球筋を考えるうちに制球力がついて、新人で20勝投手にまで成長。まさに「打撃練習のマウンドは宝の山だった」(日経「私の履歴書」)。▼誠に稲尾が不世出なら、西鉄というチームも不世出ではあった。(E)

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