農村の存在意義

2007.12.20
丹波春秋

 「地域格差」という言葉をとみに耳にするようになったが、中央では「地方が住み辛いなら、都会に移ればいい。その方が効率がよい」と言う学者もいる。先日、「農村再生」をテーマに島根で開かれた会議では、危機感から「農村の存在意義を問い直さなければ」ということが議論された。▼「食料基地」、「癒しの場」、「環境保全」。答えは色々あっても、いずれも都会人の琴線に十分響かないかもしれない。自給率は下がる一方。「癒されなくていい」と言う人もいる。かくも温暖化が進んでも、我が事とするにはあまりに大きい。▼どう理解してもらうか。逆に「都市の存在意義」を考えることで、その鍵が見つかるような気がする。それは、「時代をリードする情報、文化」ということに突き詰められよう。ところが今、その一角がほころび、農村が先に進むものが出てきた。例えば、大都市はゴミの分別処理すらできない。▼人の数が少なく結びつきが強い故に、早く行動できる。そういうものは他にも少なくないはず。丹波市の主婦たちが始めた廃食油を使った「バイオ・ディーゼル車」もその1つだろう。▼地方の自治体は「大勢についていく」のでなく、地方からこそ発して「時代をひっぱっていく」気概を持つべきだ。そこから、都市の補完でない、真に存在意義ある地域づくりが見えて来る。(E)

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