丹波自然友の会で雪の日、朝来市の生野銀山を見学した。35年前まで創業していた同鉱山は、地下880メートルまで掘られ、坑道の総延長350キロというスケール。今は入り口から往復1キロほど公開されている。石見銀山が世界遺産に指定され、ここも観光客が増えているらしい。▼引き込まれたのは、江戸時代の鉱夫たちの話。狸の穴のように狭い坑道を、サザエの貝殻の灯を腰に、鉱脈にぶつかるまで鎚とノミで掘り進んだ。3日入りっ放し。糞の処理が出来ないのでその間、水しか許されていなかった。▼唐箕(とうみ)で空気を内部に送り込み、手押しポンプで排水していたが、粉塵よけのマスクもなく、作業環境はものすごく悪かったろう。寿命は30歳そこそこ。それでも、内陸なので逃亡の恐れがあったせいか、佐渡金山のように罪人は使わなかったとか。▼マネキンの鉱夫が皆赤いふんどしをつけていた。「怪我で出した血が鉱石に付くと役人からおとがめを受けるので、すぐ拭けるように」。人間より銀の方が大切な時代だった。▼帰途、町内の「まちづくり工房」に立ち寄る。江戸から来た役人ら専用の旅館だったという、往時の隆盛をしのばせる古い建物。吹き抜けの天井の立派な梁を見上げながら、3日ぶりの食事が最大の楽しみだったのかもしれない、鉱夫らの暮らしを想った。(E)