幕末「想定外」の豪雨 151年後、同じ地区が被災 古文書発見、発生日ほぼ一致

2020.07.20
ニュース丹波市地域地域歴史

1863年8月に上竹田村を襲った災害について記載された文書

2014年8月16日から翌17日未明にかけて兵庫県丹波市を襲った豪雨災害から、来月で6年になる。被害が大きかった同市市島町前山地区でこのほど、江戸時代末期の1863年(文久3)8月、同地区で大風雨による甚大な被害があったことを示す古文書が見つかった。旧暦で記されたこの災害の発生日は、現在の暦に置き換えると8月13―14日。それから151年後の2014年8月、同じ地域を大規模な災害が襲った。偶然にも発生日はほぼ一致している。

文書は、同町上竹田の「加茂神社」の敷地内にある公民館に保管されていたもので、同市文化財保護審議会委員の山内順子さんが調査した。

領主側が「上竹田村」の村人に対して宛てた文書で、前年(1863年)の災害で被災した個所について、復旧工事にあたる人の賃金の一部を負担する、という内容。

現在の暦で文書を読むと、同年8月3日昼夜、大風となり、13日には大風雨。翌14日は午前10時から午後5時ごろまで7時間にわたって大雨が降り続いたとある。その後、洪水が起こり、道や橋、川筋を大破し、田に水も入った。「古来不見(これまで見たことがない、想定外)」の洪水だったと記載されている。

また、復旧するために村人が破損個所を下見し、どれくらいの工事規模になるかを示した「見積書」を領主に提出したことも記されている。山内さんによると、復旧工事に当たる人の賃金は、現在の金額で計約「169万円」かかると書かれており、そのうち領主は6割に当たる約「101万円」を支出すると記されている。

山内さんによると、文書に年号はないが、災害があった年の干支が「亥」と記され、この文書を書いた「豊田小四郎」「高城藤助」「古川元右衛門」は幕末期の別の文書で確認されているという。同市内の別の地区で1863年8月に大雨が降ったという内容の文書が見つかっており、上竹田村の災害も「亥年」の同年の災害であることが推測できるという。

山内さんの調べでは、この文書に登場する豊田小四郎ら計3人の“上司”は徳川家旗本の藤堂良連(平之丞)で、新選組八番隊組長・藤堂平助の父とされる人物という。「線状降水帯による局地的豪雨を連想する。防災の観点からも貴重な資料」と話している。

【2014年8月の丹波市豪雨災害】
多いところで、1時間に91ミリ、降り始めからの累加雨量が419ミリを記録した。同市市島町前山地区を中心に山崩れなどを引き起こし、尊い1人の命が奪われた。

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