「狭条密植栽培」により、丹波大納言小豆を5㌶栽培する。人手がかかるは種と収穫を機械化した、省力化をはかる栽培方法。「ポイントはつかんだ」と技術を確立しつつある。農地をすくのは父、選別を母に手伝ってもらう以外の作業は1人。「父の水稲栽培(10ヘクタール)を手伝っている。小豆に集中したら、面積はもっと増やせる」。
自身の農業を経営面から分析すると、小豆は水稲より作業時間が短く、設備投資も少なく、手元に残る利益が「少なくとも2倍」という。JAに「悪くない値段で出せる」ことを利点に感じている。「量がまとまらないと、市場で有利に販売できない。特産物に関して言えば、JAに量をまとめ、影響力を発揮して売ってもらうのは悪くない選択。売り先の心配がなければ、参入がしやすい」と言う。
先祖代々続く農家。大学卒業時点でいつか就農をと考えていた。10年間在籍したJA丹波ひかみでは、金融・共済畑。営農を経験することはなかったが、熱心な農家に可愛がられ、丹波山の芋の栽培を教わり、農繁期には家業の農業を手伝い下地を作った。
丹波大納言小豆や丹波山の芋の栽培方法を深掘りし、面積を拡大したい思いが強い。「今農業を支えている年代の人がやめても、農地を守れる形にしておく必要がある。家族を養うために、収益も上げなければならない。自分の農業はなりわいとしての農業の1つの形」。
2017年、「なかで農場」を法人化。生産者がより多く利益を吸収できるようにと、加工品開発も始めた。最初の商品、丹波大納言小豆の赤飯「丹波赤鬼飯」が好評で、新商品の開発にも力を注いでいる。40歳。