世界遺産の落書きは、世間の耳目を集める事件となった。確かに落書きは許されない行為であり、公共心の欠如をあらわすものだが、必ずしもすべての落書きを一律に断罪することはできない。戦時中の落書きがそのいい例だ。▼「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」。この標語を書いた立て札には、しばしば落書きがあったという。「工」の文字を塗りつぶすもので、「足らぬ足らぬは夫が足らぬ」となる。成人の男性が次から次へと動員される現状を、風刺をきかして非難した落書きだ。▼全国の公衆トイレにも「戦争ヤメロ」「戦争は嫌だ」など、反戦の落書きが少なからず見られたという。戦時下の締めつけで自由にものが言えないなか、言わずにおられない気持ちを落書きで表現した。ささやかで、精いっぱいの抵抗だったろう。▼落書きといえば、豊臣秀吉に面白い逸話がある。けんらん豪華な聚楽第が完成したとき、その門に「奢るもの久しからず」と書いた紙が貼り付けてあった。落書(らくしょ)である。それを見た秀吉は怒るどころか、にやりと笑い、「奢らずとも久しからず」と書き加えたという。寛容で、機知に富んだ返答だ。▼公衆トイレなどで、下品でひわいな落書きを見かけることがある。そうした落書きには社会性のかけらもなく、とても寛容になれない。(Y)