裁判員制度

2008.12.08
丹波春秋

 ツバメが裁判所に巣をつくった。巣を留守にしているとき、大蛇が忍び寄り、雛を食べてしまった。戻ってきたツバメは、雛がいないことに嘆き悲しんだ。ほかのツバメが慰めたが、当のツバメは「私が泣いているのは、不正を受けた人々が助けをうる裁判所で、不正を受けたからだ」と答えた。▼以上は、イソップ寓話集の話。裁判員候補者が通知され、裁判員制度がいよいよ始まる今、この寓話が真実味を持って迫ってくる。はたして自分は、不当な裁きをしでかさないか。▼裁判員に選ばれたらと想像してみる。裁判員制度の対象となる事件は、殺人や強盗致死傷などだ。そんな重大な犯罪の裁きを、仕事に追われる日々の中でできる余裕はあるのか。なおざりにならないか。そもそも自分に人を裁く資質はあるのかとも自問する。▼でも、裁くことの重みとまっすぐに向き合うと、正義や倫理について踏み込んで考え、自らに課せられた社会的責任を自覚するだろう。社会そのものに対する関心も深まるに違いない。裁判員になることに、抵抗感と肯定的な受け止め方が交錯する。▼「さばく」は、入り乱れたものを解き分ける「捌く」であり、捌くことが、理非や正邪にかかわるとき、「裁く」になる。しかし、裁く身になる以前に、交錯する思いを捌けずにいる。       (Y)

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