淀屋

2009.04.17
丹波春秋

 「淀屋」と言えば、大阪・中之島の「淀屋橋」に名を残す江戸期の大豪商。城郭造営から河川改修、米、材木、青果、乾物など広く手がけ、「兆」のケタの資産を築いたといわれる。▼しかし5代目に及び、幕府から「贅沢が目に余る」と闕所(けっしょ)処分となり、何万坪の土地と家屋、持っていた船舶、美術工芸品などをすべて没収された。本当の理由は、諸大名が負った多額の借金を帳消しさせるためだったらしい。▼しかしさすが、転んでもただでは起きない。実は闕所を予知していた4代目は、牧田仁右衛門という番頭の故郷、鳥取藩の倉吉に秘かに財産の一部を移していた。牧田に引き継がれた淀屋は改良した鉄製稲扱き千刃を全国に販売し、またまた一儲け。やがて大阪に木綿問屋「淀屋清兵衛」を再興する。▼そして時代は下って幕末に至り、その子孫は全財産をはたいて、倒幕に打って出る。坂本竜馬や桂小五郎が、金に糸目をつけずに暗躍できたのは、そのお陰だった。かくして仇討ちに成功した淀屋。後の世に残してくれた遺産は、無論、橋の名どころではない。▼以上は、倉吉の浄土宗大蓮寺に残る清兵衛の墓前で、観光ガイドから聞いた話。それにしてもこのスケールの大きさ。工事目当てにけち臭い献金をするどこかの会社に爪の垢でも煎じて進ぜたい。 (E)

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