<講師プロフィール>
(うえだ・やすお) 昭和28年、 篠山町生まれ。 篠山市在住。 篠山鳳鳴高校、 広島大学医学部卒、 神戸大学大学院医学研究科博士課程 (産科・婦人科学) 修了。 神戸大学医学部助手を経て、 平成元年から国立篠山病院で勤務。 平成6年から県立柏原病院へ。 丹波地域で約20年、 産婦人科医療に携わる。 同病院診療部長などを経て、 今年4月から現職。 現在、 自身が開発した、 妊娠体脂肪測定装置の普及につとめている。 同装置は、 妊婦の栄養管理・妊娠高血圧症候群の管理・予防に幅広く使われている。
[img align=left]https://tanba.jp/uploads/photos2/314.jpg[/img]
<講演要旨>
県立柏原病院は県立病院群の中で2次、 準3次という入院や手術の必要な患者に対する医療を担う目的で設立された。 2005年の全救急受診患者は約1万3000件だが、 約9割が軽症患者=図1参照。 これは各分野の専門医の医師たちにとって大きな負担だ。
[img align=left]https://tanba.jp/uploads/photos2/305.gif[/img]
柏原病院の医師不足は急速に進んでいる。 柏原病院の衰退の原因は医師、 特に内科医、 麻酔科医といった病院の基幹となる診療科の医師が退職し、 補充がないためと考えられる。 私が知っている範囲での医師辞職の主な理由は、 ▽慢性的な医師不足による過剰労働▽救急外来の重圧 (コンビニ外来) ▽仕事量がうまく反映されない不合理な報酬制度▽官舎などの不整備による医師家族の不満 (都会からきた奥さんは夫の多忙さ、 官舎の古さなどに我慢できない) ▽地域医療体制の不合理性▽後手に回る医師確保対策―など。
医師不足に拍車をかけたものに医療構造の根底に関わる2つの大きな因子がある=図2参照。 [img align=left]https://tanba.jp/uploads/photos2/306.gif[/img]その一つは日本における医師の初期研修システム 「臨床教育制度の改革」 と、 それが大学病院の医師派遣に与えた大きな影響であり、 もう一つは医療技術の進歩によって生じた医療者と市民の間での、 一種の 『医療安全神話』 とでもいうべき認識の深いギャップである。
以前の制度では医学部生の大半は卒業後、 大学病院で研修を開始、 都会や田舎の各病院に派遣される。 新制度では大学病院に入る医師は激減し、 多くは都会の大きな一般研修病院へと流れていく。 大学病院に医師がいなくなり、 一般病院への医師派遣が難しくなった。
今、 医師が柏原病院のような地方病院へ来てくれるためには、 ▽医師充足での適正労働▽病院設備、 診療機能の整備、 分担▽自己研鑽の時間と費用を提供▽合理的な納得できる報酬制度▽官舎整備などによる医師家族の満足▽地域医療体制の協調性―に加えたプラスアルファ。 それは、 病院はもちろん、 地域全体が示す医療への熱意であったり、 日本の他の地区に率先して医療改革モデルにならんとする意気込みといったものが重要と思う。
さて、 私は医師が不足していく、 病院を立ち去っていくのには実はもっと本質的な原因があるように感じている。 それは 「医療が本来持つ不確実性」 の認識について医師と患者さんの間で大きなギャップがあることで、 これはもはや修復不能なところまできている感がある。
福島県の大野病院で昨年起こった一つの医療事故が、 その後全国に雪崩のように広がっていく産科医療崩壊のきっかけとなった。 産科医が帝王切開後の母体死亡にまつわる過失で警察に逮捕されたという事件。 このケースは前置胎盤といって子宮口を胎盤が覆ってしまっている異常で、 さらに悪いことにこの女性は前の妊娠時に帝王切開を受けていたため、 その子宮の傷跡に胎盤が深く食い込んでいるタイプのものだった。
実は私も柏原病院に移ってすぐにまったく同様なケースにあたったことがあるが、 「あの時もし輸血が遅れたり、 出血が止まらず母体死亡に至っていたら自分も逮捕、 起訴されていたのか。 そしてこれからはこうした重症産科疾患のケースで救命できなかった産科医は刑事事件として逮捕されるのか」 とがく然とした。
今、 医師が辞めていくのは産科や内科だけではない。 柏原病院での小児科医不足も深刻な問題で、 われわれ分娩を扱う産科医にとって新生児を診てくれる小児科医は不可欠な存在。 外来にはいろいろな病気を持った子どもが時間を問わずやってくる。 分娩はいつあるか分からない。 救急もいつ来るか分からない。 入院している小児への対応も待ってはくれない。 すべて24時間の即時対応が要求される勤務なのだ。 小児科医の多くはそんな綱渡り勤務の中で闘ってきたのだが、 この丹波・篠山地域全体でみても従来の機能を維持していくには小児科医の絶対数が少なくなりすぎた。
地域医療の崩壊、 それは現代のアポリア (難問) であり、 これまでのような形での病院医療の継続はきわめて困難といえる。 医療者はただ 「安全な医療と質の高い医療」 を望んでいる一方で、 国民は医療に便利さと高度な医療を望んでいる。 医療者が考える安全で質の高い医療の実現には 「人と金」 の投入が必要。 しかし、 医療費抑制のために医師も看護師も足りない一方で診療報酬の抑制改訂によって病院は赤字となり、 収益改善を目指して医師への圧力負担が増大する。
一方、 便利さの追求は病院のコンビニ化につながっていく。 他方、 医療費抑制政策の一環として医療への市場原理主義の導入をもくろむ政府は 「医療はサービス業」 との認識を広める結果、 従来は当たり前であった 「医療の不確実性」 は忘れ去られ、 医療訴訟の増加に結びついていく。 こうした一連の変化が医師の疲弊へとつながり、 立ち去って行く結果が、 医師不足、 そしてもともとの条件が悪い地域医療の崩壊につながる。
今、 地域のこれからの医療体制を守るために集約化への議論があるが、 丹波地域のみならず周辺地域には小児科医も産科医も絶対的に不足していることを忘れてはならない。 おざなりな机上の集約化構想は、 結果として地域全体の医師を余計に減らしてしまうことは日赤産科をみればわかること。 それは患者の集約化を招き、 集約された側の医師はいなくなり、 集約病院が再び医師不足が原因で崩壊してくことが予想される。 といって何も手を打たずに、 ある病院が崩壊すれば、 それはただちに地震波のように近隣の地域にも波及し、 病院のドミノ倒しが起こりかねず、 それは小児科、 産科ではもう現実のものになっている。
医師不足に起因する医療崩壊はもはや 「ポイント・オブ・ノー・リターン」 を越えてしまっており、 元の医療体制へ戻ることはできない。
まず、 私たちが今できることは、 この地域に残っている医療資源、 すなわちまだ勤務をしている医師を何とかここにつなぎ止め、 「医療崩壊の連鎖ドミノ」 を少しでも食い止めること。 その間、 現在の医療を何とか維持しながら、 病院とそれを取り巻く環境を整備しながら新しい医師が赴任してくるような環境を作っていくことが唯一の対策であると思う。
今年初頭に丹波医療圏の医療分担構想が示されたが、 この案が出てすぐに柏原日赤の産科が分娩取り扱いを中止した。 地域医療の受け皿と指定され、 中核病院をめざしてきた柏原病院もぎりぎりの体制を続けているのが現状。 その中で、 篠山病院は医師数は保たれているが新病棟建て替えなどを巡って撤退が噂される。 柏原日赤は、 内科医は2人だけとなった。 わずか半年前に出された体制案は現場の状況とは大きく乖離し、 「絵に描いた餅」 となった。
丹波医療圏の人口は11万人。 そこに県立柏原、 柏原日赤、 篠山病院の3つの総合病院があり、 スタッフが分散している=図3参照。 [img align=left]https://tanba.jp/uploads/photos2/307.gif[/img]今、 各病院が医師不足に苦しみ、 存続の是非に揺れている。 もう少し視野を広げると、 周辺地域では近未来的に回復希望のない医師不足、 経営悪化による共倒れを予測して、 従来の枠組みを超えた大掛かりな病院再編への動きも提案されている。 従来のような医療体制を維持することが不可能という認識において、 そうした方向性は間違ってはいないと思う。 丹波地域においても地方行政単位や関連大学のテリトリーを越えての現実的な検討がまな板にのせられるべきで、 現状においてそのための時間はそう多くは残されていない。