丹波医療確保対策圏域会議 (議長=山鳥嘉彦篠山市医師会長) が2月28日、 県柏原職員福利センター (丹波市柏原町) で開かれ、 丹波医療圏域の医療確保についてまとめた。 脳卒中、 心筋こうそくの推進方策 (めざす方向) を 「県立柏原病院での体制が整うまでの間は、 阪神北圏域及び北播磨圏域の病院への搬送体制を構築」 とするなど、 医療低下している現状を追認。 低下した医療を回復させるための案や、 誰が推進方策を実行するのかなど、 具体的な取り組みは盛り込まれなかった。
医療確保への取り組みの 「医療機能分担と連携の検討」 では、 ▽医療提供施設相互の機能分担と業務連携▽4疾病 (がん、 脳卒中、 急性心筋こうそく、 糖尿病) 5事業 (救急、 災害、 へき地、 周産期、 小児) の医療連携体制の構築▽2次医療圏 (丹波2市) にこだわらない地域の実情に応じた医療連携体制を構築する―とした。
圏域での医療提供体制の考え方で、 政策医療の病院の位置付けとして、 県立柏原病院が救急、 災害、 小児救急、 へき地医療、 小児・産科医療を、 兵庫医大篠山病院が救急と小児救急、 小児・産科、 地域リハビリを担い、 柏原赤十字が災害医療を、 民間病院は救急を担うとした (主な役割分担は、 表参照)。
同会議は、 2006年9月に、 丹波圏域の特性に応じた医療提供体制のあり方や、 病院間の機能分担を検討するため設置。 両市長、 両市医師会長、 各病院長らで構成する。 07年1月の第3回会議で、 「小児科・産科を県立柏原病院に集約する」 「急性期を柏原で、 亜急性期 (回復期) を篠山、 柏原赤十字、 民間病院で担う」 などとする案を提示。 案が示された直後に、 柏原赤十字から産科が撤退、 小児科の常勤医が0になり、 篠山も小児科医が1人減るなどし、 圏域の小児・周産期医療が崩壊の危機に直面した。 この後1年間、 会議は開かれず、 今年1月に再開。 1年前の 「集約案」 を 「なかったこと」 にすることで合意した。
山鳥議長は、 医療確保のまとめについて、 「こういう風に確保する、 ということは文章には書いていないが、 取り組んでいく」 とし、 「医療は先が見えない状況で、 住民は不安で仕方がないと思う。 いろんな面で努力しないと、 どうしようもない。 今は悪い時期だが、 必ずよくなると信じている」 とコメントした。
事務局を務めた柏原健康福祉事務所の清水昌好所長は、 「篠山病院と柏原赤十字病院の存続問題の先行きが見えず、 会議が開けなかった。 その間に柏原病院の医師不足が深刻になった。 救急や個別の疾病に関する対応策は、 他の会議などで検討したい」 と述べた。
(解説)これが医療確保か
丹波地域2市の行政、 医療機関のトップが勢ぞろいしてまとめた 「医療確保」 プラン。 2年半が費やされたものの、 果たしてこれを 「成果」 と呼んでいいのか。 疑問符が付く内容だ。
会議が開かれなかった1年で、 段違いに医療事情が悪化した。 悪化後開かれた会議で、 なぜ、 改善に向けた検討が行われなかったのか。
小児救急や周産期医療などの各項目について、 目指す方向を意味する 「推進方策」 が記載されている。 小児救急の 「推進方策」 を見ると、 中に 「小児科医の確保が急務」 とある。 急務なのは、 分かっている。 問題は、 「誰が」 「どうやって」 医師を招へいするのかだろう。 その他の項目でも、 「めざす」 「構築」 「連携をはかる」 と、 責任の所在が明らかにされないまま、 文字だけが書類の上で躍っている。
脳卒中、 心筋こうそくの 「推進方策」 は、 より悲惨だ。 「柏原病院での体制が整うまでの間は」 とある。 自発的に体制を整えようとせず、 今の低下した状態の固定化を認めるような表現だ。 小児科・産科を崩壊のふちに追いやり、 現状を追認した 「会議のための会議」。 医療に対する市民の切望感とは、 かけ離れている。(足立智和)