明治23年7月、わが国で初めての衆議院議員選挙が行われた。画期的な出来事だが、投票できる人はごく一部に限られていた。まず25歳以上の男子であること。さらに直接国税を15円以上納めている者が条件だった。▼このため、丹波地域で投票ができたのは1807人。人口からみた有権者率は1・45%に過ぎず、ほとんどの人が蚊帳の外に置かれた。自分の意思を直接に表明する権利を持てなかった。▼それを思うと、20歳になれば投票できる民主主義の社会がありがたいが、民主主義は衆愚政治に堕する危険性をはらんでいることを認識しなければいけない。だれもかれも同じ1票。極端な話だが、不見識な候補者や有権者が多くいれば、不見識な政治家が量産されることになる。▼民主主義の父と言われるルソーも、「もし神々からなる人民があれば、その人民は民主政をとるであろう。これほどに完全な政府は人間には適しない」と書いている。衆愚政治という民主主義の落とし穴にはまらないためにも、政治家はもちろん有権者の自覚が求められる。▼1票は重い。国民の多くがつまはじきにされた昔の選挙を顧みると、一人ひとりが有する1票はそれ自体で重い。ただ、それを本当に重いものにするかどうかは、有権者の自覚による。きょうは県知事選の投票日。 (Y)