「この年の秋に織田信包は伊勢の安濃津城から丹波の柏原城へと移封を命じられた。この信包と一緒に、与九郎一成も亦柏原へ移って行った」。井上靖が57年に発表した小説「佐治与九郎覚書」の一節である。▼柏原藩の初代藩主、信包(のぶかね)とともに柏原に移ったこの与九郎は、再来年のNHK大河ドラマで生涯が描かれることになった女性、江(ごう)の最初の夫だ。江は、信長の妹、お市の方の3女。同作品によると、知多半島の大野城主だった与九郎が22歳、江が14歳のとき、2人は結婚。夫婦仲は睦まじく、2人の女児に恵まれた。▼ところが、与九郎はかつて秀吉の敵対陣営についたため、秀吉によって無理やり離縁され、城も召し上げられた。その後、与九郎は信包を頼り、柏原に移った。28歳で髪を落とし、人を避けて暮らした与九郎。「丹波の小さい城下町に、彼が衲衣(のうえ)をまとって生きていようとは、誰も想像だにしないことであった」と同作品にある。▼その後、徳川秀忠に嫁いだ江が男子(家光)を出産。ある日、柏原の城下の外れで、出生を祝うために出かけて行く柏原藩の一行に出会った与九郎は、「ふらふらとその場に腰を下ろした」。そして「虚ろな目でそこに座り込んでいた」。▼丹波の歴史の影を知ることのできる作品である。(Y)