県立柏原病院 (大西祥男院長) の産婦人科に、 7月から神戸大学医学部附属病院産婦人科医局の診療応援が始まった。 医局長以下、 同医局の半数を越える10人以上の医局員が、 木曜の産科当直と金曜の外来を交代で担う。 医局をあげて同病院産科存続を支援する 「破格」 とも 「異例」 ともいえるものだが、 5月末まで3人体制だった同病院の常勤産婦人科医は、 6月から2人。 共に50歳を越えており、 肉体的にも精神的にもきつい産婦人科の継続は、 依然予断を許さない。 (足立智和)
共に篠山市出身で、 副院長の上田康夫氏 (56) と産婦人科部長の丸尾原義氏 (50)。 2人とも同病院に移って10年以上になる。
2人が所属する神戸大の産婦人科医局は、 昨年、 一昨年と2年続けて入局者がなく、 慢性的人手不足の同附属病院の困窮に拍車がかかった。 同附属病院の産婦人科勤務医は、 20人に満たない。 専門も、 産科と婦人科で分かれている。 同医局が医師を派遣している関連病院は25あり、 総人数でも90人ほどだ。 帝王切開、 子宮全摘、 子宮脱など、 産科、 婦人科合わせて100数十件の手術と年間305分娩 (2008年度) という県立柏原の数字は、 関連病院の中で少ない方で、 分娩数が同程度か少ないのは、 三田市民と市立西脇ぐらいだ。 年間分娩数が500、 800ある病院も人手不足にあえいでいる。
そんな中でも、 2人の人柄と、 臨床だけでなく、 妊婦の代謝の一分野で、 一線の研究を続ける姿勢を評価し、 大学は、 同病院に5月末まで 「3人目」 を送り続けていた。 それが途絶えた。 「3人目」 が1年限りであることは、 1年前に告げられていた。 大学の事情や関連病院の状況を知る2人が、「3人目」 の常勤医を要求することはなかった。
6月から、 今年4月に入局した20歳代の医師2人が月曜と水曜に1度ずつ、 同期のもう1人に月1度土日の応援を得た。 常勤の2人に比べ、 まだ臨床経験の少ない若手医師に全てを任せることはできず、 2人は、 月、 水の夜も後方支援に回る。
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2人になった6月、 丸尾部長は、 過労がたたり持病が再発。 「代わり」 がいないため、 1週間ほどで復帰せざるを得なかった。 この間、 上田副院長が連日とまり込み、 診療を支えた。 昨年度同病院で誕生した赤ちゃんのうち、 75人が深夜帯に生まれているように、 産科は、 朝から深夜、 明け方まで断続的に勤務が続く。 2人は、 体調や今後も続く人手不足を考慮し、 分娩取り扱いを今年度いっぱいで取りやめようと、 相談した。
産科休止が検討されていることを伝え聞いた神戸大医学部首脳が、 産婦人科医局に医師派遣を依頼。 常勤で出せる人間は1人もいないなか、 ベテランも含め、 10人以上が9月末までの間、 一回ずつ出務することを決めた。 10月以降の体制は、 未定。
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7月からは、 丸尾部長の泊まり勤務を原則なくし、 大学からの応援と上田副院長でカバーする。 泊まり勤務が増えた上田副院長は、 柏原に部屋を借りた。 同門で、 上田副院長と同級、 年齢が上で関連病院の勤務医として一線で臨床を続けている医師は、 片手で数えられる。 後輩の中には、 「もう十二分やった。 これ以上がんばることはない」 と、 2人の身を案じ、 産科撤退を促す人もいる。
上田副院長は、 「妊婦や患者が困るのは言うに及ばず、 人をやり繰りし、 応援してくれる大学への義理もある。 自分自身が望んできた病院再生に向けた神戸大のテコ入れも始まったばかりで、 先に脱落できない。 長年かけ助産師と作り上げた大切なシステムもある。 思うところはいろいろあり、 どこまで持つかも分からないが、 当面、 現在の分娩や手術患者などの受け入れは変わらず行っていきたい」 と話している。
三田市以北で神戸大産婦人科の関連病院は、 三田、 西脇、 柏原、 日高。 全て常勤医2人だ。 安全な帝王切開には産婦人科医が2人は必要で、 2人では、 緊急帝王切開がいつ入るか分からず、 毎夜 「待機」 を強いられる。 産科勤務医は、 減少が顕著で、 2006年で5683人。 8年で15%の減。
自治体病院の問題に詳しい伊関友伸城西大学准教授の話
「産科の勤務医不足は特に深刻で、 医師個人の善意や精神論に任せていては片付かない問題だ。 女性医師が多く、 妊娠出産で辞める人も少なくない。 男性はなり手が少なく、 高齢化している。 訴訟リスクもある。 日本から産科医がいなくなる可能性がある。 地域に産科医がいて分娩ができることに感謝の気持ちを持つことが大切だ。 集約も避けられない」