秋めいてきた。静まった夜、耳を澄ますと、虫の声が聞こえてくる。小説家の小泉八雲に、虫についての随筆がある。日本に帰化し、八雲と名乗ったハーンは、虫の声を愛する日本人の感性に感心した。▼虫の声を聞くために、いにしえの都会人は秋の野辺に繰り出した。それほど日本人に愛されている虫は、西洋にとってのクジャクやカナリアと同じ地位を占めている、などと書いた。少しばかりの喧騒でかき消されてしまうほどの、かすかな虫の声に耳を傾ける姿勢が日本文化の基底にはある。▼ところが、政治はどうか。政治家は、日々の暮らしに汲々としている庶民のかすかな声に耳を傾けているだろうか。かつて岸信介総理大臣は、「私は声なき声にも耳を傾けなければならぬ」と語った。声なき声に耳を傾ける。この言葉だけを取り上げると、もっともな正論なのだが、岸総理の発言は意味が異なる。▼「60年安保」で騒然とし、デモが盛んに行われた中での発言だ。デモの叫びなどを「声ある声」と言った岸総理にとって、声なき声とは、庶民のかすかな声ではなく、自分にとって都合のいい声に他ならない。正論をかざした、すりかえだ。▼政治家のすりかえの言辞は、もううんざりだ。虚心坦懐に庶民の声に耳を傾ける政治家が望まれる。さて今夜の審判は― (Y)