国内最大級の草食恐竜の化石を見つけた柏原高校非常勤講師の足立洌 (きよし) さん (63) と定年を機にUターンした村上茂さん (62)。 大学時代の友人で、 約40年ぶりに再会した2人は、昨年6月から月1、 2回のペースで調査を始め、8月7日に大発見をした。 発見時の状況や今後の希望などを聞いた。 (足立智和)◆20年来の夢に「感無量」-足立さん
「地域おこしの材料に」-村上さん
――調査を始めたきっかけは。
足立 私は岡山県出身で、 阪神間の高校で英語教師をしていました。 1983年に青垣出身の妻の実家に近い、 柏原町に越して来て、 篠山鳳鳴高校の教諭になりました。 この年に、 授業の引率でたまたま篠山市内の篠山層群で貝など、 水底に住む小動物の住み穴の化石を見つけました。 元々古いものが好きでしたが、 それがきっかけになり、 篠山層群の調査を始めました。 村上君の帰郷を知り、 1人で調査するのも寂しいので、 村上君を誘いました。
村上 私は門外漢。 映像機器製造メーカーを退職し、 帰郷してしばらくしたところでした。 お金もかからないし、 自然の中で1日遊ぶのもいいかな、 と軽い気持ちで誘いに乗りました。
――見つかった時のようすは
村上 赤褐色をした泥岩層の壁面、 私の腰くらいの高さに1センチほど突起状のもの (後で肋骨と判明) が出ていました。 灰色がかった色をしていて、 素人の私が見ても、 周りとは明らかに異質だった。 指でほじくってみると、 奥にほぼ水平に続いていました。
足立 よく通っている所だったので、 『こんなところにあるはずがない』 と思いました。 5センチくらい掘ったところで、 骨の組織らしいものが見えた。 この日、 30センチくらい掘りました。 最初は、 動物の脚の骨と思った。 現場に掘り残した骨を早く掘りたいという思いと、 この骨が何なのかという期待で、 ほとんど眠れませんでした。
発見翌日は所用で出かけ、 夕方に自宅に戻って本やネットを調べました。 いくら調べても、 こんな大きな骨を持つ生物はいなかった。 恐竜の化石が見つかるというのは大変なこと。 『まさか』 という思いが強かった。 村上さんに 『どうも恐竜だ』 と電話し、 翌9日に、 肋骨が出たところの上を掘ると、 尾の骨が出てきました。
――8月9日に博物館に持参されたそうですが、 研究者の反応は
足立 作業を終えた足でどろどろのまま、 事前に連絡もせず突然訪問しました。 対応して頂いた三枝春生研究員は、 最初不審そうに見ておられましたが、 表情がさっと変わり 「本物やないですか、 どこで見つけたんですか、 鳥肌が立って来ました」 と言われ、 「やはり恐竜だったのか」 と初めて確証を得ました。
村上 研究室が大騒ぎになり、 研究者がびっくりし、 興奮しているようすにこちらも驚き、 興奮しました。 その日のうちに、 研究員を連れて現場を案内しました。
――大発見となった今の感想は
村上 2人で調査に行くものの、 私は一つの化石も見つけたことがなかった。 最初に見つけた化石が恐竜だったということで、 ただただラッキーというしかありません。 東京からもテレビの取材があったり、 こんなに大騒ぎになるとは思ってもみませんでした。
足立 とんでもないことをしてしまったなぁ、 という感じ。 子どもたちに 「私の夢は恐竜の化石を見つけること。 君たちも夢を持て」 と言い続けてきたので、 感無量です。 調査は平均したら年12回くらいで、 1年半ほど全く調査に行かない時もあった。 そう熱心にやってきたわけではないので、 びっくりしています。
――これから望むことは
足立 恐竜の化石が見つかると、 研究者の関心が高まる。 これを機に篠山層群の研究が進み、 新たな化石が見つかったり、 日本列島成立の壮大な謎の解明に役立つ岩石などが出ることに期待しています。
村上 地域おこし、 まちおこしの材料にしてほしい。 どこかにミニ博物館ができないかと考えています。 子どもたちの学習の場など、 少子高齢化が進む地域に、 人が集まってくるような仕掛けができれば。 JRとタイアップして 「恐竜電車」 を走らせ、 乗降客を増やしたり、 行政に例えば 「丹波竜」 などの商標権をとってもらい、 商標使用料が市に入るようにするなど、 いろんなアイデアを思い浮かべています。