過酷レース7日18時間で完走 富山湾から駿河湾までアルプス越え415キロ 課題クリアに準備は6年がかり

2024.10.04
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静岡市の大浜海岸でゴール。関係者に囲まれ、満面の笑顔を見せる蘆田さん(提供)

日本海の富山湾から3000メートル級の日本アルプスを越え、太平洋の駿河湾までおよそ415キロを8日以内に踏破する「トランスジャパンアルプスレース(TJAR)」(8月11―18日)で、丹波山岳会会員で保健師の蘆田恭卓さん(44)=兵庫県丹波市=が、7日18時間13分で完走した。荷物はリュック一つ。過酷で命の危険に関わるため、厳しい参加要件が課せられており、6年がかりで課題をクリアし、初出場で初踏破した。「苦しい時、次の一歩のことだけを考えて進んだ」と偉業を振り返った。

過酷極まりないTJARを完走した蘆田恭卓さんと蘆田さんを支えた装備。1―1・5リットルの水、菓子「柿の種」などの補給食、テント、防寒具、地図、コンパス、ヘルメット、自身の位置を知らせるGPSトラッキング端末など総重量8―9キロ=兵庫県丹波市柏原町柏原、丹波新聞社で

一般的なハイキングでは1カ月かかるコース。29人が出場し、21人が完走。蘆田さんは16位でフィニッシュした。

レース名の通り、2500―3000メートル級の峰が連なる北アルプス(剱岳―薬師岳―槍ヶ岳山荘―上高地)、中央アルプス(木曽駒ケ岳―空木岳)、南アルプス(仙丈ケ岳―塩見岳―赤石岳―聖岳)を、自身の足だけで8日(192時間)以内に踏破する。途中設けられた関門に制限時間以内にたどり着くよう、コースタイム(区間ごとの所要時間の目安)をにらみながらのレース。

レース中盤の3日目、中央アルプスの木曽駒ケ岳で、命の危機に見舞われた。標高2900メートル付近で雨に遭い、かっぱをすでに着ていたが体は汗で濡れ、風もあり、体感温度は10度以下。思考が落ち、体が動かなくなった。低体温症だった。震える体で強風の中テントを張り、ブドウ糖を取り、水を飲み、乾いた服に着替えた。大会参加前の選考会で「テントを4分以内で立てられる」項目があったことの意味を、身をもって知った。暑さ、熱中症とも闘った。肉体に高い負荷がかかり、レース途中から尿が出なくなった。腎臓も悲鳴を上げていた。

山中はキャンプ場や登山道脇で体を横たえ、ロードは許可を得た公共施設の軒先で寝たり、疲れがピークのときは道端で倒れるように眠ったりした。染みが3つあるものは何でも人の顔に見え、水が流れる音は人の話し声やラジオの音に聞こえた。

やめる理由はいくらでも出てくる。ゴールの瞬間を想像し、ここまでの練習を振り返り、「日本海からここまで来た」と気持ちを奮い立たせた。とはいえ、疲労の蓄積で足が動かなくなり、思考が鈍ることは幾度とあった。そのたびに「全部できることはやったか」確認した。補給食がある、少し眠ればいい、と回復に賭け、「まだやれる気持ち」を切らなかった。一度、リタイヤを考え、山小屋を利用しようとしたが、圏外で電話がつながらず、付近で眠った。回復して歩き出した。

アルプスから見る景色は美しく、雲の上に夕日が落ちる、ここでしか見られない景色に感動した。南アルプスでは、朝日の中に富士山が見えた。過酷なレースは登山者に広く知られており、ビブスを見て、皆が応援してくれた。友人や家族が応援に駆けつけてくれた。

GPSで現在地が常時ネット上で公開されていた。充電切れを恐れ、スマホ使用は制限していたが、オンラインになると、ネットで動向を注視していた丹波の友人や山仲間からの激励が続々と、交流サイト(SNS)経由で届いた。「普段は応援されると『イヤイヤ』という性格だが、応援が進む力になると体感した」

最終日前日の午後11時過ぎに最終関門に到達。5時間ぐらい余裕があった。最後は80キロのロード。肉離れを起こした足に巻いたテーピングが食い込み「ボンレスハムのようになった」。アルプスは登山道が整備されていてコースを誤ることはなかったが、静岡市の市街地は道に迷わないよう注意が必要だった。

静岡市大浜海岸でゴールを見た時、涙があふれた。心の底から震えるような感じがし、「やったー」の声が出た。直後に差し出された地ビールを一気に流し込み「うまい」と叫んだ。レースのために禁酒し、1年ぶりに喉を潤すビールは、たまらなくおいしかった。日本海を出発して8日目に太平洋にタッチ。親や友人と記念撮影に納まった。動画で見た大会のゴールシーンと同じことを自分もしていた。

たまたま大会出場者の完走報告を聞き、「五輪は出られないが、努力すればTJARには出られる」との言葉に一念発起。自分が「何かを成し遂げた」自信を持ちたくて大会に参加した。「よくやったと思う。十分自信になった。これができる体力を保ちたい」と静かに語った。

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