夜、耳を澄ますと、虫の音が聞こえるこのごろだが、先日、丹波OB大学で講義した俳人の坪内稔典氏から面白い話を聞いた。俳句は、好んで虫を詠むのだという。それも、美しい音色を奏でる虫にとどまらず、ムカデ、ノミ、シラミ、蚊など一般に毛嫌いされている虫も俳句の題材にする。▼芭蕉の「蚤(のみ)虱(しらみ)馬の尿(しと)する枕もと」はその典型。決してかかりたくない馬の尿まで出てくるという“豪華さ”だ。芭蕉には、「氷苦く偃鼠(えんそ)が咽(のど)をうるほせり」という句もある。偃鼠とは、ドブネズミのこと。その姿を見ると、悲鳴を上げる人も少なくない嫌われものも俳句に登場する。▼俳句の世界は、間口が広いというか、どんなものも飲み込んでしまう胃袋を持っているというか。面白い特質だ。▼嫌われものは、単純に言うと「醜」に属する。哲学者の中島義道氏が「(日本人は)醜が美と共存していても目障り・耳障りではない」と指摘するように、醜を排除しない美意識が、俳句の世界の背景にあるのだろうか。▼それとも日本人の宗教観・自然観が関係しているのか。「山川草木 悉皆(しっかい)成仏」というように、どんなものも仏性を持っているという考えから、嫌われものも受け入れるのか。いずれにしても興味深い。(Y)