
往年のゲーム機「ツインファミコン」でゲームを楽しむ中西さん(右)と井口さん=兵庫県丹波篠山市呉服町で
令和8年(2026)は、昭和元年(1926)から数えて満100年。戦後復興、高度経済成長などにおける、さまざまな出来事の中で日本が大きく発展した昭和の時代。一方、「平成」「令和」と時が流れるにつれ、古き良き時代というような懐かしさも込めて「昭和」が使われることが散見されるようになった。そこで、「楽しかった昭和」にスポットを当て、当時の“アルバム”の一部をひもといた。時代の再発見と、輝かしい未来につながることを期待して。
昭和58年(1983年)に任天堂が発売し、とりわけ子どもたちを虜にした家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」。“ファミコン”の愛称で親しまれ、当時の子どもたちは、あまりの熱中ぶりに「一日1時間までやで」と、きつく親に言いつけられた人も多いだろう。兵庫県丹波篠山市の中西誠さん(48)は、同61年にシャープが発売したファミコンの互換機「ツインファミコン」で、今なおゲームを楽しんでいる。
中西さん宅にファミコンがやってきたのは、小学6年生の時で、毎日のように楽しんだという。理由は思い出せないが、ファミコン本体に電源を供給するACアダプターを親に隠されたことがあり、「あれはダメージがでかかった。テストの点は悪くなかったと思うけどなあ」と笑う。
中西さんによると、「カセット」の名で親しまれたゲームソフトは当時、数カ月置きに新作が発売されるペースだったという。「買ってもらいたい新作があると、発売までの“行い”を良くしていた」
そのファミコンは、時の流れとともに行方知れずになったが、20歳の頃、リサイクルショップで「ツインファミコン」を見つけた。懐かしさもあり、すぐに購入。少しずつソフトを買い足し、今では数十本になる。時間ができれば、今もプレイを楽しんでいる。
一方、3歳のころにはファミコンが家にあったという同県丹波市の井口元さん(43)。ファミコンは通常、2人までプレイが可能だが、10年ほど前、複数人の友人と一緒に楽しめないかと、旧知の中西さんに相談し、手持ちのファミコンを託した。しかし2人とも、このやり取りをすっかり忘れていた。今回の取材で再会し、互いにファミコンの思い出を語り合った。
ファミコンが隆盛を極めた時代は、インターネットは一般的ではなかった。ゲームの進め方や〝裏技〟などは、専門誌や人づてでしか情報を得られなかったという。中西さんは「今思えば、ファミコンは“掘る”楽しみがあった」、井口さんは「自分で研究して楽しむというのが、子ども心をくすぐったんだと思う」と話していた。


























