NHK「ラジオ深夜便」で「ふるさと新聞88年」と題し小紙のこれまでの歩み、現在の報道、自分の想いなどについて話した。▼16年前に帰郷し編集に関わって間もなく、「昭和○年○月の丹波新聞」という連載を始めた。平成の年号を昭和に置き換え、63年のタイムラグで昔の丹波の様子を再現するねらいだった。▼その中で、夫に先立たれ、たくさんの子供を抱えて村役場から扶助を受けている婦人が「子供が大きくなったら必ず恩返しをさせます。今は何もできませんが、せめてものお礼です」と、わらぞうり10足を差し出したという記事を紹介した。▼現在の世相とはかけ離れた感のする話だが、この母の心が今なお丹波に生きていないわけではない。公立病院の医師不足に際し、「小児科を守る会」のお母さんたちの運動が危機を脱するのに大きな力を持ったばかりか、何事にも「ありがとう」と言い合う機運を地域に盛り上げた。▼小紙の紙面も昭和10年代が進むにつれ、戦争に色濃く支配される。心優しい人々が互いに助け合っていた社会が、いつしか破局に向かって突っ走っていた。何故そうなったのか、筆者自身まだまだ理解できていないが、新聞にも責任があったことは確かだ。ともあれ、全国の思いがけない人々からたくさんの便りを頂いて「ありがとう」。(E)





















