レイテ沖海戦とは太平洋戦争終盤、敗色を強める日本軍がフィリピン死守のために、米軍のレイテ島上陸を阻止しようと同湾突撃を企図した戦い。日本は戦艦大和ほか残り少ない艦船のありったけをかき集めて臨んだ。▼敵を北方に攪乱するおとりを含め4艦隊、60隻の編成だったが、死中に活を求めて湾内突入する目的は、彼我の圧倒的な物量の差の前に挫折、4日間の戦いで味方の損害34隻に対し、沈めた敵艦はわずか4。日本海軍は止めを刺された形で、10カ月後の日本の降伏を決定付けた。▼この戦には海軍兵学校を卒業したての73期生、弱冠20歳の多くの新米士官が参加し、犠牲となる。半藤一利「レイテ沖海戦」(PHP研究所)は、生き残った73期生から聞き取った目線で、様々な現場をフィルムのコマを送る如く伝える。▼マニラの大西瀧治郎中将(旧制柏原中OB)が送り出した特攻機が敵を震撼させるのもリアルだが、最も鮮烈なのは、わずか2400トンの駆逐艦が寄ってたかって襲い来る敵艦に2時間に渡ってひとり抗戦。ついに海底に没し、「(こんなに小さかったとは)すっかり騙されていた」と、敵将の胸を張り裂く場面。▼戦い抜いた若き将校や下士官、兵卒らの思いと行動に覚醒される。この最後の海戦から69年。平成の若者にも是非知ってほしい。(E)