11月4日、丹波の森公苑で「丹波佐吉物語」と題した催しが開かれる。佐吉は、音の出る石の尺八を作り、孝明天皇から「日本一」と称賛された柏原ゆかりの石工だ。▼1816年、和田山町の生まれ。幼くして両親を亡くした佐吉は、柏原町大新屋の石工、初代難波金兵衛に引き取られ、石工として成長する。やがて柏原を離れた佐吉は、61年、柏原の恩人からの依頼で柏原八幡神社の狛犬を作る。▼この狛犬を「佐吉の最高傑作」と評する金森敦子氏の著書『旅の石工』によると、狛犬完成から5年後、佐吉は柏原に戻り、不動明王像を作る。梅毒に侵され、死を覚悟した中での制作だった。「自分がだんだん腐っていくことを思うと、気が狂いそうになっただろう。死は確実にそばまでやって来ている。その中で佐吉はもう一度執念のようにノミを手にしているのだ」と、同著にある。▼「事実上の最後の作」とされる不動明王像を作って、佐吉は柏原を去り、二度と帰らなかった。金森氏は、野垂れ死にをしたかもしれないと推測する。▼古里でもある柏原で、死を予期しながら不動明王像を作った佐吉の職人としての気概。医学者で、教育者でもある平澤興氏に「生きるとは燃えること」という言葉がある。佐吉は、不動明王像が背にする火炎のように生きたのかもしれない。(Y)