荻田庄五郎氏の思い出

2012.07.19
丹波春秋

 「冬来たりなば春遠からずや」という有名な句が英国ロマン派詩人シェリーの「西風に寄せる歌」からの出典であることを、初めて知った。シェリーその人についてすら無知の春秋子だが、旧制柏原中―柏原高教諭から関西学院大教授に転じた故・荻田庄五郎氏が「シェリー研究の成果を、早稲田大学で発表する」という記事が昭和15年10月4日号丹波新聞に載ったのは読んでいた。▼荻田氏は同12年1月の「東京五輪(同15年開催予定だったが世界大戦で中止)に備え柏中で英語熱高まる」という記事にも登場し、同校出身の作家、上田三四二は短編「補助線」で、生意気盛りの生徒たちからも一目置かれた教諭として描いている。▼荻田氏の居宅は、春秋子が小学6年の時に転出されるまで、我が通学路の途中にあった。端正な顔を、その家の都会的な感じのすらりとした5人姉妹と共に、かすかに覚えている、▼シェリーのことを先述の通り少しばかり知ったのは、5人姉妹の末妹Mさんがこの3月、春秋子出演のNHK「ラジオ深夜便」を偶然耳にし、「柏原が懐かしい」と便りを頂いたのがきっかけ。▼再会したMさんが見せて下さった荻田庄五郎著「シェリー研究」(研究社)は昭和18年、日本が米英と戦っていたさ中の刊行。そんな快挙をも不思議な縁で知り得た。(E)

 

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